昭和村 あんじゃ こんじゃ -018-019/057page

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[ 峠 ]

 周囲を険しい山々に取り囲まれた昭和村は、多くの峠で他の町や村と結ばれ、道には交易や人々の移動にその歴史が刻まれてきました。特に只見線が川口まで開通するまでは、殆どが峠道を荷駄や車で物資が運搬されてきた大切な生活道路でもありました。
 今では使われなくなり薮にその姿を隠した道、車の通る舗装された主要道路、ハイキングルートとして整備された峠道などさまざまですが、峠にはどんな歴史が秘められているのでしょう。

昭和村の地図[峠]

1. 【 博士峠 】
 会津高田町と境を接する博士峠は、昭和46年に県道会津若松〜伊南線に認定、その後国道401号に昇格した村のメインルートにあります。この道は『新編会津風土記』にも記され、金山郷(野尻谷・金山谷・川口谷)と高田を結ぶ重要なルートでした。明治時代の主な流通物資は米・麻・からむし・木地などが行き来し、高田で販売されていたようです。運送の駄賃が「平地で1里につき10銭、山坂で12銭」かかったという記録も残ります。高山を越えるため冬期は寒さも厳しく、明治の終わり頃には遭難する人も相次いだほどです。
 大正時代には博士山のふんだんな木材資源を生かそうと林道として道が広げられ、それが現在に至っています。
● きれいに舗装された博士峠の現在
● きれいに舗装された博士峠の現在

2. 【 吉尾峠 】
 天明8(1778)年に記された『東遊雑記』によると、幕府巡見使が梁取から布択を経てこの峠を越えて野尻に宿泊したという記録があり、古くから人の往来も多かったようですが、比較的なだらかな峠にも崩れやすい難所があり、雪のない季節でも一人旅は危険といわれていたほどです。
 布沢とは人の交流も多く、春の彼岸頃にはこの峠を越す花嫁行列も見られたといい通行量も多かったそうですが、現在はその面影を残すのみです。

3. 【 旧鳥居峠 】
 鳥居峠の名前には由来があり、昔、ある人が会津高田町の伊佐須美神社に鉄の鳥居を奉納したが、ご神体の蛇は金気を嫌うといわれていました。その後おこった暴風で吹き飛んだ鳥居はこの地まで吹き飛ばされて峠に突き刺さったところからこう呼ばれるようになったとか。
 南郷村からは、明治中期まで主要ルートにしてきましたが、新鳥居峠ができてからは道も途絶え、現在はヒメサユリの自生地になっています。

4. 【 転石(ころぷし)峠 】
 「ころぶし」と呼ぶこの峠は、田島町黒沢と昭和村大芦を結び、車が普及するまで利用されていた峠道です。駒止峠に次ぐ標高で、頂上近くが急坂になり通行く人は苦労したようです。明治初年に田島町黒沢の細井家に郵便局が設置された頃からしばらくは、大芦へも峠を越えて配達に来ていたそうです。

5. 【 大辺峠 】
 美女峠と並ぶこの峠は、昭和49年の林道開通によってできた近代の峠。標高1000メートルの位置にあり、「間方スカイライン」とも呼ばれた、眺めのいいルートです。この峠にも地蔵峠という名の旧道も残っていました。この道を三島側に下ったところに、志津倉岳の登山口があります。

6. 【 美女峠 】
 古くは「美女帰峠」と書き、「びんじょうげ」「びんじょうぎ」とも呼んでいたロマン漂う峠の名があります。みめ麗しい美女が、恋人の帰りを待ちわびる伝説が残っています。
 天正17(1585)年に伊達政宗の会津攻略で、金山谷の山ノ内氏を攻める伊達勢がこの美女峠を適って野尻牛首城に入ったといいます。
 三島町宮下へ繋がる三谷街道は通称美女峠街道とも呼ばれ、昭和村からは会津若松方面へ、三島からは昭和村を経て田島代官所へ行くのに便利なところから人の往来が多く、また、新潟から来る塩の運搬ルートとして重要な道でした。

7. 【 舟鼻峠 】
 昭和村・田島町・下郷町の境界部分にある峠で、難所こそないものの峠途中にはヘアピンカープが多く、車の往来の大変だった道でしたが近年は改良され道も良くなってきました。江戸時代には年貢金・年貢米の搬送や、野尻組(昭和村)の麻の出荷に利用されてきましたが、明治に入って田島とは別々の行政区に入ったため、交通の要路からははずれていきました。
● ひっそりと面影を残す舟鼻峠旧道
    ● ひっそりと面影を残す舟鼻峠旧道

8. 【 新鳥居峠 】
 明治31年に鳥居峠の新道として整備された南郷村への峠です。明治末期には大芦の養蚕農家の繭がこの峠を越えて南郷村山口の製糸工場へ、最盛期には毎日馬で5、6頭の馬につけられて運ばれたといいます。地方主要道路から国道401号となり、現在も整備の進んでいる道ですが、三階山のあたりはパケモノ討伐平と呼ばれるほど鬱蒼とした森林地帯であったといいます。

9. 【 喰丸峠 】
 喰丸峠旧道はハイキングコースになった(けやきの森遊歩道)
9. 【 喰丸峠 】


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