昭和村 あんじゃ こんじゃ -036-037/057page
【空木かえし】
下中津川の東北にそびえる志津倉山には千年を生きたという妖猫「かしゃ猫」が住んでいると怖れられていた。その山には天狗も住んでいたのか、誰もいないはずの山奥から「空木がえし」という大木の倒れる音や大きな石が転がる音が聞こえてくるという。後から音のした場所へ行ってみてもなんの跡形もなかったとか。
頂上の赤沼・青沼には雨乞い岩があり、日照りが続くと三島の人達はここに祭壇を設け雨乞いをしたといわれている。
【かしゃ猫】
むかし、大岐にお爺さんとお婆さんが住んでおり、子供もなく何の楽しみもないので年をとった猫を飼っていた。
ある盆の日、小野川本村で芝居がかかったのでお爺さんも泊まりがけで見物に行き、体の弱いお婆さんが留守番をしていたところ、淋しさを紛らわすのに猫を相手に「爺さんどんな芝居をみているのだろうね、私も見たいのになあ」と呟いたところ、猫が隣の部屋に行ったかと思うと部屋が突然輝き、夜が明けるまでお婆さんにいろいろな芝居を見せてくれた。
終わってから猫は、お爺さんには言わないようにといったが、うっかりお爺さんに話してしまったので、末恐ろしいと思ったお爺さんは猫を籠に入れて川に流してしまった。すると不思議なことに猫の入った寵は川上へと遡り、猫は岩山へ登っていってしまった。
のちに猫は千年を生き「かしゃ猫」と呼ばれ怖れられるようになった。人を襲って食べたとも伝えられ、ときには葬式から死人をもさらうため葬式は猫に気づかれないよう鐘や太鼓は鳴らさずに、夜中こっそり行ったという。
かしゃ猫の住む岩山には猫啼岩という名がある。
【新屋敷大尽】
大芦の集落に、新屋敷大尽と呼ばれる大金持ちが住んでいた。周辺の田畑山林はこの大尽のもので、多くの奉公人を使い隆盛を誇っていたという。
ある年、近くの畑を田にしようと思い立ち、莫大な費用と人足を使い三年がかりで水を引く堰を完成させた。その祝宴の席で大尽と村の法印とが口論になった挙げ句に、「田に水が入らないようにしてやる」と言い残して法印は姿を消した。
次の日、満々と水をたたえていたはずの堰の水は法印の言った通り枯れてしまったのである。何度直しても堰が崩れるので、村人が夜中にこっそりと見張っていると、河童頭の童が土を崩していたという。これは法印の法力による魔物であると怖れ、大尽も堰をあきらめてしまった。
翌年の夏には大尽の家内中で疫病を患い、やがて家運傾き家も絶えてしまった。その堰跡は今も山中に横たわり、在りし日の大尽の権勢の名残をとどめているという。
【七尋どじょう】
明治の初め頃までは、大芦から喰丸へ行くのに鬱蒼とした大森林地帯を通らなくてはならず、その途中には「どじょう堀」というそこなし堀を通らなくてはならなかった。この堀は幅こそ狭いが水も泥も深く、底には七尋もある大きなどじょうが主になっているといわれ、その名前がついたという。この堀と矢の原ぼたん丸山のふもとにある底なしの井戸はつながっているということで、ある人がここから手杵に赤い頭巾をかぶせて沈めたところ、翌日になってどじょう堀のほうに浮き上がってきた。これは主の七尋どじょうが口にくわえて運ぶためらしい。
【冷湖(ひゃっこ)の霊泉】
その昔、この地は日照り続きで皆が困っていた。ところがある夜、名主の夢枕に御神楽岳に住む天狗が現れ、小判草(からむし)を捧げれば願いが叶うと告げて消えた。
さっそく小判草を探し神社に奉納したところ雨が降り、それ以来この地は豊かになったという。小判草を採取したところからは清水が湧きだし、これを口に含むと体に力がみなぎるという。