わたくしたちのきょう土 田島町 -080/114page

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10 貴族の世の中

○ 平安時代

 古代の田島町は会津郡長江郷といわれるところであった。この名前が初めて歴史の上にあらわれるのは、「和名抄(わみょうしょう)」である。

* 和名抄…10世紀の中頃(931〜935)にできた日本最初の百科事典である。

「和名抄」国郡部、長江郷が見える
「和名抄」国郡部、長江郷が見える

○ 鎌倉時代

 12世紀以後の田島町の地は長江庄といわれる荘園であった。1305年(鎌倉時代)に作成された嘉元3年「御摂録渡庄(せつろくわたししょう)目録」という一巻の中にその名前が見えて、藤原氏の勧学院領(かんがくいんりょう)であった。

* 勧学院領…もとは藤原氏出身者のための大学寮の別曹、すなわち寄宿舎であった。後に藤原一族の氏寺、氏社の事務をあつかい、中世には藤原氏の関係する裁判も行った。

長江庄荘域推定図
長江庄荘域推定図(「会津若松史」1より)


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