わたくしたちのきょう土 田島町 -086/114page
○ 南山御蔵入騒動(みなみやまおくらいりそうどう)
これは、享保(きょうほ)5年(1720)11月に起きた「南山御蔵入5万石騒動」として有名な百姓一揆である。直訴(じきそ)におよんだリーダーの6名が、田島陣屋の郊外でさらし首の刑となった。
当時、南会津を中心とする南山地方は、広大であったが平坦部(へいたんぶ)は極めて少なく、石高は5万石程度で、凶作だったりすると年貢米を納めることも大変であった。
生活に苦しくなった農民は、がまんできなくなり江戸に上って上訴(じょうそ)しようと、今の南郷村宮床の安照寺(あんしょうじ)に集まって密談したといわれている。
祇園祭
祇園祭は俗に「天王様の祭り」あるいは「牛頭(ごず)天王祭」ともいわれ、古く室町時代ごろから行われている伝統的な祭りである。
途中、中断されたり、おぎなったりされながら、祭礼行事を職業とする神主(かんぬし)がまだいない時代からの古式をよく伝える「おとうや」という氏子組織に守られて絶えることなく維持され現在にいたっている。
昭和56年、国の「重要無形民族文化財」に指定された。