わたくしたちのきょう土 田島町 -102/114page

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(2) 田島町のあゆみ

年号 田島町のできごと 世の中のできごと
(1500年以前) ○ 旧石器時代後期の石器が丹藤地区の大名神遺跡より出土。  
縄文時代 ○ 縄文早期、前期、後期の土器が出土する。
○ 町内の遺跡多数(主なところは石橋、宮の下、上和田原、上の台、寺前、児島、田無沢、長野、中村)
 
弥生時代 ○ 中期(宮の沢、折橋、油燈、上の原)
○ 後期(油燈、上の原)
 上記の遺跡が代表的。
 
承平5年(935) ○ この頃「和名抄(わみょうしょう)」成立。会津の郡郷名に「長江郷」あり、長江郷は藤原氏の荘園となり、「長江荘」と称され、さらに勧学院に寄進された。 ○ かな文字の使用が広まった。
(和名抄…その頃の百科事典)
文治5年(1189) ○ 源頼朝の奥州征伐により会津は芦名、長沼、河原田、山内の四氏に与えられたといわれる。 ○ 源頼朝が鎌倉に幕府を開いた。
寛喜2年(1230) ○ 長沼淡路守宗政(長沼氏の祖)の領地譲状に「陸奥国長江庄南山地頭職」の項目がある。 ○ 新しい仏教が広まった。
建治4年(1278) ○ 田島薬師寺の薬師如来立像が奉納された。  
嘉元3年(1305) ○ 長沼氏の連光(法名)他が、田島薬師寺の阿弥陀如来坐像を奉納した。  
康永2年(1345) ○藤生熊野神社御正躰裏名(みしょうたいりめい) ○ 足利尊氏が京都に幕府を開いた。
貞和元年(1345) ○ 宮本熊野神社御正躰裏名 願主源有重。
 この頃、御正躰の献納が多い。
○ 長沼氏は、はじめ南朝に味方するが、後に北朝方となった。
○ 南朝と北朝の争いが続いた。
(御正躰…神様の像)
(裏名…裏に年号等を入れること)

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