下野街道(南山通り) -000-12/109page
発刊のことば
「大内峠は涙で登る 泣いた涙が沼となる」と馬子たちに唄われた大内峠。
下野街道は、会津から江戸への最短の街道として、江戸時代初期には会津藩主を初め近隣諸国藩主 が参勤交代の道として利用し、あるいは年間十万俵にも及ぶ会津藩の廻米が、江戸在中藩士の扶養米 や藩財政の操作米として送られた道でした。
荷役を負わされた馬子たちは、千m以上の山々が連なるつづら折りの峠道を喘ぎながら一歩一歩よ じ登ったのでしょう。
平成七年度から五ケ年計画で整備しました下野街道の本町区間は、わずか約十八kmでありますが、 旧街道の要所には往時を偲ばせる一里塚や道標、重要伝統的建造物群保存地区の大内宿などが存在し、 発掘調査では峠の茶屋跡や石畳も発見されるなど、下野街道のなかでも江戸時代の面影を最も色濃く 残す道筋であります。
整備しました旧街道は、先人たちが踏み固めて創りだした歴史そのものであり、点在する沿線周辺 の文化財とあわせ永久に保存しなければならないものと考えています。
本事業の実施にあたりましては、文化庁文化財保護部記念物課並びに福島県教育庁文化課をはじめ とする各関係機関のご指導とご協力を賜りました。ここに衷心より感謝の意を表しますとともに厚く 御礼を申し上げます。
平成十二年三月下郷町教育委員会教育長 湯 田 靖 夫