下郷町町勢要覧 -056/057page

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豊かな自然と文化の軌跡

「田園文化交流都市」・下郷を目指して

沿革

三千年以上も前からの人々の息吹が伝わる歴史と文化のまち

はるか三千年以上も昔から、ここには人々が住み着いて独自の文化を営んできたことが、縄文から近世までの、145ヵ所余りの遺跡からしのばれます。また奈良時代には、藤原氏の荘園制のもと、「長江の庄」と呼ばれ、南会津一帯の中核として栄えました。19ヵ所にのぼる中世の土豪の館跡や、鎌倉、室町時代に築かれた三つの観音堂などの貴重な文化財からも、ここには古くから、香り高い文化が根ざしていたことをうかがい知ることができます。江戸時代には幕府の直轄地として南山御蔵入と呼ばれ、会津と日光、江戸を結ぶ会津西街道が通っていたこの地域は、交通の要所として発達し、当時宿場として栄えた大内宿が今も住事をしのばせるたたずまいをみせてくれます。会津藩の参勤交代の行列は、この街道を通って江戸へと向かったのでした。明治に入ると町村制が施行され、楢原村、長江村、二川村、旭田村の四ヵ所が制定されました。その後昭和3年に長江、二川両村が合併し、さらに昭和21年には楢原村が町制をしき、昭和30年に楢原町、旭田村、江川村の一町二村が合併して現在の下郷町が生まれたのです。こうして幾多の時代を経、時の流れを越え、日々新たな明日に向かって、下郷町は今、大きくはばたこうとしています。

地勢

大地に勢いが生まれる大自然の環境

東経139度52分、北緯37度14分に位置するしも郷町は、地球上で比較すると、ヨーローッパのアテネ、アメリカのサンフランシスコと同緯度上にあります。福島県においては西南部、南会津の東端にあって、南が栃木県に接しています。面積は317.09ku。町の周囲には1000メートル級の山々が連なって雄大な渓谷美をつくり、町の中央を流れる大川に沿って国道121号線と、第三セクター会津線の主要交通網が走っています。気候は、日本海側の影響を強く受ける積雪寒冷地型です。夏は高温多湿で朝晩が涼しく、冬は降雪量が多いという、なかなか厳しい自然環境といえますが、それだけにまた、外には見られない珍しい地形や、動植物が数多く生息し、。この町に独特の個性と魅力を添えています。町から50kmの圏内に、会津若松、郡山、白河の各市があり、また会津鬼怒川線開通、会津線の開業などで首都圏との交流も活発になり、今後ますます町の発展が期待されるところです。

流石山(1812m)の頂上付近から町内を望む
流石山(1812m)の頂上付近から町内を望む

木造聖観世音菩薩座像(もくぞうしょうかんぜおんぼさつざぞう)
木造聖観世音菩薩座像(もくぞうしょうかんぜおんぼさつざぞう)


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