わたしたちのきょう土 下郷町-091/116page
2)飯田ぜき
中妻地区には現在46ヘクタールもの水田があり、たくさんの米が作られています。飯田ぜきで遠くから水を引いているからです。しかし、300年ほど前までは水が少なく、ほとんど米を作ることができず人々は大変貧しいくらしをしていました。飯田ぜきはどのようにして作られたのでしょうか。
ア.せきを作る
人々は、山の向こうの観音川から水を引いてくれば米を作ることができると考え、中妻の名主玉川理右衛門を代表に立てて郡奉行に願いを出しました。郡奉行の飯田兵左衛門は、人々の願いを聞いて計画をねり、山をくりぬいて800mのトンネルを通し、全長4kmものせきを作ることにしました。村の人々はこの工事のためにこぞって働きました。そして、およそ3年後の1675年にせきは完成しました。
イ.せきができてから
中妻の人々は、この飯田ぜきのおかげで広い水田を開き、生活も豊かになりました。その後、大正11年、昭和28年と大きな工事をして、現在は幅を広げてコンクリートのりっぱなせきになっています。村の丘の上には、記念碑が建っています。
飯田ぜきのりゃく図
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