エ.せきができてから
村の人々は、あれ地をどんどん切り開いて田を作り、いつか60ヘクタールもの田が豊かに村々をかこむようになりました。
円蔵さんは、せきが完成した次の年の1884年、大きなことをなしとげた喜びをむねにひめてなくなりました。
村の人々は、円蔵さんの恩をいつまでも忘れないように、村の神社のけいだいに、石ひを立てて感謝しました。
▼円蔵をたたえる石ひ
▼円蔵ぜきができるまで(年表)
年 おもなことがら 1859年
(江戸時代のおわり)○古いせきが大水でこわされ、新しくせきを作りたいという声が村の人々から出る。 1862年 ○弓田円蔵を中心にせき作りの計画が話し合われる。 1863年 ○せき作りの工事が始まる。 1866年 ○4年目に大水でせきがこわれる。 1870年(明治3年) ○8年目に八幡橋の所まで水を引く。 ○せきを深く、じょうぶにする工事が始まる。 1883年(明治16年) ○21年かかってせきが完成する。 1884年(明治17年) ○弓田円蔵がなくなる。