わたしたちのきょう土 下郷町-090/116page

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エ.せきができてから
 村の人々は、あれ地をどんどん切り開いて田を作り、いつか60ヘクタールもの田が豊かに村々をかこむようになりました。
 円蔵さんは、せきが完成した次の年の1884年、大きなことをなしとげた喜びをむねにひめてなくなりました。
 村の人々は、円蔵さんの恩をいつまでも忘れないように、村の神社のけいだいに、石ひを立てて感謝しました。
▼円蔵をたたえる石ひ


▼円蔵ぜきができるまで(年表)
おもなことがら
1859年
(江戸時代のおわり)
○古いせきが大水でこわされ、新しくせきを作りたいという声が村の人々から出る。
1862年 ○弓田円蔵を中心にせき作りの計画が話し合われる。
1863年 ○せき作りの工事が始まる。
1866年 ○4年目に大水でせきがこわれる。
1870年(明治3年) ○8年目に八幡橋の所まで水を引く。
○せきを深く、じょうぶにする工事が始まる。
1883年(明治16年) ○21年かかってせきが完成する。
1884年(明治17年) ○弓田円蔵がなくなる。

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