伊南村の文化財(第一集) -026/029page
照国寺の山門 照国寺の山門は、天正十七年(一五八九年)伊 達の大軍が伊南の地に入り、久川城の河原田盛次 との攻防で焼失してしまった。その後寺の復興と ともに建てられたと伝えられる。 山門の梁には と明記されている。 ※延享二 ‐ 一七四五年 所 在 地 伊南村大字古町字小沼二〇二五番地 管 理 者 金光山照国寺
照国寺の山門は、天正十七年(一五八九年)伊 達の大軍が伊南の地に入り、久川城の河原田盛次 との攻防で焼失してしまった。その後寺の復興と ともに建てられたと伝えられる。 山門の梁には と明記されている。 ※延享二 ‐ 一七四五年
所 在 地 伊南村大字古町字小沼二〇二五番地 管 理 者 金光山照国寺