のためにさらわれてしまい,直すのにとなりの黒谷村の人々のおうえんを求めたといいます。 そこで,名王吉津新六郎は,この苦しみをすくうために自分の山の木を売ったお金を出して,せきを上流に移し,山ぎわの岩をけずってほりをつ<ることを村人に相談しました。村人はおおいにかんげきして工事にはげみ,「長浜せき」を完成させたといいます。 ▲せきの取り入れ口(あまぶち) ▲現在の長浜地区