相馬市市勢要覧 -040/050page

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鳴り響く陣螺
風になびく差旗
大地をゆるがす五百騎の騎馬
壮大な戦国絵巻。

相馬野馬追

国指定重要無形民俗文化財
相馬野馬追

 相馬野馬追の起こりは、相馬氏の始祖平将門が、毎年、 下総国の小金ヶ原(現在の千葉県流山市付近)に関八州の 兵を集め、野馬を敵兵に見立てて武術を練ったことに始ま るといわれています。

 相馬氏は元来、下総を本拠にしていましたが、元享三年 (一三二三)重胤の時に相馬地方に移住しました。その後、 武家社会が続いていく中にあって、明治維新を迎えるまで 一度も国替えされることなく生き続けました。このこと は、全国でも非常に珍しいといわれています。

 戦国時代、相馬の隣国には伊達六十二万石が控えていま した。わずか六万石の相馬が伊達にひけをとらなかったの は、野馬追による軍備の充実はもとより、日常の礼儀作法 から学問に至るまでの精神修養を怠らなかったからと考え られています。当時、東北諸国を手中に収める実力を持っ ていた伊達政宗も、「われ、敵を討ってほとんど意に任せ ざるなし。ひとり相馬ほ小敵といえど服し難し」と評して います。

 このように野馬追は、表向きを妙見の祭としながら、実 際は、良馬の育成と敵に備える武術をみがき、士気を鼓舞 するための行事であったといわれています。

 現在では、時代の変遷とともに行事の内容に若干の様変 わりはありますが、古式豊かな甲胃に身を固めた騎馬武者 の心″は、一千有余年受け継がれてきています。

 昭和五十三年に、国の重要無形民俗文化財に指定された 相馬野馬追。総大将の出陣式は、毎年七月二十三日に中村 神社で行われます。暑い夏、血がたぎる武士道の心″が よみがえります。

■出陣 七月二十三日
 宇多郷(相馬市)北郷(鹿島町)は馬陵城跡内中村神社に、 中ノ郷(原町市)は太田神社に、小高(おだか)郷(小高町)標葉(しねは)郷(双葉郡浪江町) は小高神社に騎馬武者が甲冑姿、陣羽織、陣笠姿で集結。

■宵乗 七月二十三日
 各郷の騎馬武者勢がそれぞれ祭場地雲雀ヶ原本陣山に着き神輿を安置し、 神官馬場浄めの式を行ない、陣螺全山に鳴り響くと、 白鉢巻に野袴、陣羽織に装束し、いななく駒に跨(またが)り古式の宵乗競馬が行われる。

■野馬追 七月二十四日
 黎明(れいめい)一番螺で全軍に用意を促し、 二番螺で準備を整え、三番螺で総勢甲冑をまとい太刀を着し、 伝統の旗を差し、総大将、副大将(宇多郷、北郷を除く各郷は郷大将)は 母衣(ほろ)を負って馬に騎り、各郷軍毎に原町市北方新田川原に集結する。
お行列 御本陣をめざして約四キロ・二時間にわたる行列が開始される。
神旗争奪戦 午後一時、螺の音たからかに花火で打ち上げられた神旗を奪い合う (神旗を敵の首に見立てた)「神旗争奪」の熱戦がくりひろげられる。

■火祭り 七月二十四日
 小高町において御神輿がお帰りになるのを氏子や住人たちが沿道にかがり火をたいてお迎えする。

■野馬懸 七月二十五日
 総大将の指揮で御小人と呼ばれる若者たちが、 白鉢巻に白衣をつけ、追い込まれた馬の群に飛び込み 素手で荒駒を捕え神前に献ずる。


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