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二宮尊徳
1787年相模国(今の神奈川県)に農家の長男として生まれた。小さい時の名を金次郎といった。小さい時からよくはたらき、勉強もした。そして、少しずつ田畑を広げ、まずしかった家をゆたかにした。さらに、藩やまずしい村をよくするため熱心にはたらき、みんなに感しゃされた。みんなが心を一つにして、協力してまじめにはたらくなど報徳の考えをみんなに教えた。1856年なくなったが、尊徳の教えは多くの人々にうけつがれた。
◎ 天明の大ききんの時の人々の生活を調べてみましょう。
今からおよそ200年ほど前、相馬藩では、天候がよくない年がときどきあり、村は少しずつ荒れていきました。これにおいうちをかけるように、天明の大ききんがおこりました。
この年は、5月まで冷たい雨の日が多く、気温があがらず田植えがおくれてしまいました。さらに、夏になってもわた入れの着物を着るような寒い日が続き、稲が育ちませんでした。
このため、米のほか畑の作物もほとんど取れませんでした。人々は、木の実のほか草、根、葉など食べれそうなものは何でも食べました。
しかし、が死したり病気になって死んだりする人々が多く、さらに、よその土地ににげだしたりする人もみられました。
天明のききんの時に死んだ人をとむらってたてられた。