のびゆくそうま-132/148page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

このようなことが数年続いたので、相馬藩ではおよそ9万人いた人口が4万人にへってしまいました。
ききん
農作物がとれなくて(きょう作)、食べ物が少なくなること。相馬藩では、ききんにそなえて、米をたくわえておいたり、あわやひえを植えさせていたが、ききんの時は、あまり役に立たなかった。

相馬藩の人口のかわり方 (相馬藩政史より作成)
相馬藩の人口のかわり方
◎ 富田高慶は人々のくらしをよくしようと思って、どんなことをしたか調べましょう。
富田高慶は、藩の生活がきびしい時に、相馬市中村で生まれました。
藩の人々が苦しんでいるのをみて、なんとかしようとして、17才で江戸(今の東京)にでて学問をはじめました。しかし、いくら勉強しても藩のためにならないとなやんでいた時に、まずしい

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は相馬市教育委員会に帰属します。
相馬市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。