わたしたちのまち かしま - 028/072page
資 料七千石堰(しちせんごくせき)について
水をせきとめる堰(せき)
七千石堰(しちせんごくせき)は、慶応(けいおう)三年(1867年改修工事(かいしゅうこうじ)終わる)に当時(とうじ)の北郷代官(きたごうだいかん)「荒専八(あらせんばち)」が、それまであった堰(せき)を改修(かいいしゅう)しました。その頃(ころ)の堰(せき)は、木や竹などをたてとよこに組(く)み、その中に石をつめたものでした。そのため大雨になると流(なが)されてしまうことが多かったそうです。現在(げんざい)はコンクリートで作られ大水にもたえられるようになっています。
用水路(ようすいろ)を作って水を引く
七千石堰(しちせんごくせき)から取り入れた水は、用水路(ようすいろ)を通って真野川(まのがわ)の北側(がわ)にある「唐神(からかみ)ため池」から「南右田(みぎた)」及び「南海老(えび)」まで送(おく)られています。その長さは10kmもあります。この用水路(ようすいろ)は、自然落差(しぜんらくさ)を利用(りよう)して作られています。このため土地の高い所から低(ひく)い水田に水を引くことができるようになっています。
取れる米が七千石(しちせんごく)
この堰ができてから、多くの水田をうるおすことができるようになりました。そして米が昔の単位(たんい)で、7000石(ごく)(約18000俵(ひょう))も取れるようになったので、この堰(せき)を「七千石堰(しちせんごくせき)」とよぶようになったのです。
この用水路(ようすいろ)はどこからどこまで流れているのか話し合ってみましょう。
八沢(やさわ)小学校の前も流(なが)れています。※ 米1俵は60s