わたしたちのまち かしま - 071/072page

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○真野長者(まのちょうじゃ)の話

 むかし、桜平山(さくらだやま)に真野長者(まのちょうじゃ)が住(す)んでいて、そこにはおっかねえ人食いベゴがいたんだと。

 ある日、一人の若(わか)い人がきたがら、このベゴの人ばしらにしようとしたら、その若(わか)い人は、ベゴとほっぺたをくっつけてベゴ小屋(ごや)さいたんだと。あるとき、長者(ちょうじゃ)の一人むすめが重(おも)い病気(びょうき)になったんだと。ほしたらほの若者(わかもの)が病気(びょうき)を治(なお)すために八幡(はちまん)さまさ流鏑馬(やぶさめ)をほうのうしたっけ、むすめの病気(びょうき)は見る見る良(よ)くなったんだと。

 病気(びょうき)の治(なお)ったむすめは、ほの若者(わかもの)のごと、うんと好(す)きになってしまったんだと。ほんで、若者(わかもの)はこまってしまい、本当(ほんとう)は欽明天皇(きんめいてんのう)の皇子(おうじ)で、みちのくのようすを調(しら)べさ来(き)たごとを、むすめに話したんだげんちょ、むすめはウソこいでると思ってかってに宮城県(みやぎけん)の方(ほう)さ家を作っていっしょにくらしたんだと。んだげんとも皇子(おうじ)は、むすめと子どもを残(のこ)してさっさと都(みやこ)さ帰(かえ)ってしまったんだと。むすめと子どもは皇子(おうじ)が帰(かえ)ってくるのを待(ま)っていたんだげんちょも、病気(びょうき)で死(し)んでしまったんだと。ほしたら、ほの後(あと)、むすめと子どもは二羽(にわ)の白鳥(はくちょう)さなってとんで行ったんだと。

桜平山
桜平山(さくらだやま)

○降居姫(おりいひめ)の話

 むかしのこと、天上(てんじょう)に降居姫(おりいひめ)というとてもきれいな姫(ひめ)がいたんだと。姫(ひめ)は地上(ちじょう)で炭(すみ)を焼(や)いている若者(わかもの)をむこにもらうことになったんだと。ほんで、姫(ひめ)が若者(わかもの)を迎(むか)えさ行(ゆ)くと若者(わかもの)は「私(わたし)は、地上(ちじょう)の者(もの)で天(てん)さ上(あ)がることはできね」と言(い)ったので、姫(ひめ)は「柴(しば)を千束(せんたば)集(あつ)めて燃(も)やすと、ほの内(うち)でっけい竹(たけ)の子がでてくる。ほれを伝(つた)わって上に上がってきて」と言(い)ったんだと。

 若者(わかもの)は、さいしょの内(うち)は失敗(しっぱい)したが、姫(ひめ)に会(あ)いたくていっしょうけんめい上がったら天(てん)に上がることができたんだと。二人(ふたり)は幸(しあわ)せにくらしていたげんちょも姫(ひめ)の両親(りょうしん)が若者(わかもの)をきらったので、二人(ふたり)は手を取(と)り天(あま)の川をわたったんだと。ほしたら、川の流(なが)れが急(きゅう)だったので、若者(わかもの)のすがたは見えなくなってな、姫(ひめ)だけが今の岡和田(おかわだ)さ流(なが)れついたんだと。村の人たちは、姫(ひめ)を気のどくに思ってな、降居神社(おりいじんじゃ)をまつったそうな。

降居神社 
降居神社(おりいじんじゃ)

 このような、むかし話や伝説(でんせつ)を「民話(みんわ)」といいます。これらは昭和57年に上真野(かみまの)中学校でまとめた「上真野(かみまの)の伝説(でんせつ)」をもとにしてあります。

 みなさんの近くにもいろんなむかし話があると思いますので、おじいさんやおばあさんにぜひ聞いてみましょう。


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