わたしたちの原町市-085/099page

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せんそうがあったころ(50年前ごろ)

昭和
50年前 

・ひこう場ができる。(1937年)
・ひこう場が大きくなる。(1940年)
・小高,大甕,原町のあいだに,はじめてバスが通る。
・小学校が国民学校とよばれる。
・役場をいまの市役所のところにたてる。(1942年)
・東京からそかいじどうが原町にくる。(1943年)
・アメリカのひこうきがばくだんをおとす。(1945年)

おじいさん・おばあさんのむかし 

せんそうがあったころ,原町女学校にかよっていてね。くうしゅうのために,ぼうくうごうをつくっていたよ。ひこうじょうがあって,てっぽうなどをつくるこうじょうもあったから,アメリカのひこうきがばくだんをおとしに来たんだ。みんなでぼうくうごうに入ってぶるぶるふるえていたね。原一小にもばくだんがおとされたり,きじゅうそうしゃで学校の先生がなくなったりしたんだよ。わたしのお兄さんもせんそうに行って南の島でせん死したという知らせを聞いたとき,とってもかなしかった。せんそうはいやだね。

40年前

・原町市となる。(1954年,人口31,443人)
・原町第二小学校ができる。(1954年)
・石神村が原町市にあわさる。(1956年,人口41,503人)
・町名を新しくする。


渋佐や北泉の浜へ家族でよく泳ぎに行ったものだよ。新田川では泳ぎながらつりをしたね。

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