■小学校6学年社会科(11)
単元名・単元のねらい 主な学習内容 博物館資料 資料活用の視点 (10)二つの戦争と人々のくらし ・日清・日露の二つの戦争や条約改正の努力などを調べ、日本の国際的な地位が高まったことをおさえるとともに、中国や朝鮮の人々の大きな苦痛や日本の'労働者・農民の苦しみをとらえる。
・4枚の地図を見比べてみよう ・中国やロシアと戦う
・朝鮮を植民地とする・不平等な条約の改正と工業の発達
・さまざまな民衆運重力がおこる[f、近代化のあゆみ] ・日清戦争関係図
・豊島沖戦錦絵・日露戦争関係図
・日露戦争凱旋記念表彰状・凱旋記念ハンカチ
[f、機関庫のある町]・明治35年(1902)
.主要路線図・原ノ町駅構内の転車台
・原町紡織会社遠景(大正9年(1920))
・原町紡織株式会社染色精錬室
・総会議事録・ギャバンシン布
・磐城無線電信局原町送信所と送信塔
・明治27年(1894)に始まった日清戦争は、翌年に勝利をおさめ、日本のアジア進出の足がかりとなったことをとらえさせる。 ・錦絵を見て、当時の戦争の様子を想像させる。
・日本海海戦など、日露戦争(明治37年(1904))の経過をとらえさせ、この勝利によって欧米列国とならぶ帝国主義の国となったことを理解させる。表彰状やハンカチを見て、日露戦争を身近にとらえさせる。・明治31年(1898)常磐線が、日暮里一岩沼間343.1km開通、海岸線と呼ばれていた。この開通は、近代文化や産業をもたらし原町をこの地方の要地として成長させたことをとらえさせる。同年、原ノ町駅構内に機関庫がおかれた。
・大正4年(1915)機関車の方向転換のため、15.3mの転車台が新設された。昭和4年(1929)人力から電動に改良された。・政府は、製鉄などの重工業や製糸・紡績業を中心として近代産業を育てようとした。
・大正9年(1920)、原町紡織株式会社が設立された。・原町紡織の創立総会、株主総会の議事録
・原町紡織の製品・火止10年(1921)に開局、当時口木から外国に無線通信できる唯一のの施設、大正12年(1923)関東大皮災の時には、サンフランシスコにその惨状を打電、全世外に報道された。