博物館学習指導の手引き-028/098page

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関連単元名:かわってきた人々のくらし
展示コーナー:g:馬と生きる
資料名:代かき、マンガ、馬ぐつ、馬頭世観音



マンガ洗い
マンガ洗い
田植えか終わった後に田の神を祀る。残しておいた稲苗でマンガを洗うしぐさをし、弊束・稲苗・餅(ボタモチ・半ごろし)を供え、田の神を祀り豊作を祈った。

代かき
代かき

馬ぐつ
馬ぐつ
馬のひづめや足の裏を保護するために用いた履物で藁で編んだものである。馬のわらじともいう。

馬頭観世音
馬頭観世音
六観音の一つで冠にのせてある馬形は仏威を示す。農家では馬を財産の柱として大切にし愛情をかけて育てていたので馬体安全の祈願をした。馬頭観世音の石塔は路傍にみられ、馬頭観世音の文字を刻んだ供養塔は持ち馬が死んだ時立てて供養したものと馬の供養とが結びついたもの。

古墳時代、羽山横穴の壁画に三匹の馬が描かれ、副葬品として辻金具、くつわなどの馬具が出土している。伝承では、元亨3年(1323)相馬重胤以向に牛越原に馬を放ち野馬を育てたという。戦国時代は、馬は軍用に使用されたが、江戸時代に入り、元和以降戦いがなくなり、農馬の需要が増加していった。藩は領内を七郷に分け、阿武隈高地の村々である山中郷が馬の生成に適していたので、馬産地として馬の飼育に力を注いだ。農民は厩肥と地力維持のため欠かせず、労力としても馬を飼育するようになった。
代かきは、春馬耕で田おこしをした後、マンガを馬に引かせ十の塊を平にする。水を入れて土に十分水分を浸透すると代かきが始まる。鼻竿により馬を導く口取り(鼻どり)とマンガを操る(マンガ押し)と二人で作業する。鼻どりは子供が主で右廻りに馬を誘導しマンガ押し(父兄)は深く食いこませるか食いこませないか調節する。アラシロ・中シロ・仕上げシロと土を細かく平らにしていく。最後にならし棒にマンガを入れ水田を平にする。その後田植えとなる。鼻どりは右廻りで四角形にきちんと誘導するのが基本であるが、円くまわり押し役にしかられたものです。はだしで入るため泥をあび全身が泥だらけになってしまう。昭和30年後半から40年代にかけて農業用軽トラック・耕運機が導入され馬を利用した農業がすたれた。


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