おだかまちの文化財-004/012page
小高城跡(県指定 史跡)
伊達政宗とわたりあった戦国時代の相馬氏の居城
小高城は鎌倉時代のおわりごろから江戸時代のはじめにかけて、約二八○年間「奥州相馬氏」の本拠地でありました。その姿などから別名「紅梅山浮舟城」と呼ばれていました。
南北朝の動乱から伊達氏との抗争に至るまで、まさに戦乱の世を生き抜いた城と言えるでしょう。
小高城跡採集金鯱片(町指定 有形文化財)
小高城跡で見つかったもので、金箔や朱で塗られた鯱の破片です。
豊臣配下の大名の城跡から出土することが多いと言われ、相馬氏の歴史的背景を窺わせる貴重な資料と言えます。
村上城跡(町指定 史跡)
十六代相馬義胤が、眼下に太平洋を望むこの地を戦略上重要な場所として土塁を築き、まさに館を建てようとした前日、火災により山積みした木材が灰になってしまいました。義胤はこれを不吉として、牛越城(原町市)に城を築くこととなりました。いまも土塁や濠が残っており、当時の様子を伺い知ることができます。
大悲山文書(県指定 重要文化財(書跡))
相馬氏の一族大悲山氏に関係する鎌倉・南北朝時代の古文書です。大悲山氏は現在の泉況(昔は大悲山村)を本拠地としていたため、のちに大悲山氏と名のるようになりました。
この古文書は、中世における奥州相馬氏に関わる数少ない資料です。
▲大悲山文書
相馬家系図(町指定 有形文化財)
相馬家系図は県指定重要立化財である歓喜寺(相馬市)のものが知られていますが、小高のものは歓喜寺のものとほぼ同様であり、年代も近いものと考えられます。
八幡大菩薩旗(町指定 有形文化財)
鎌倉時代のはじめ、奥州相馬氏の祖である相馬師常は平泉の奥州藤原氏を討ち、その功績により、源頼朝から八幡大菩薩の旗を授けられました。原物は焼失してしまいましたが、江戸時代の頃の複製が小高に残されていました。
相馬地方に伝わる数多くの旗の中でも、特に由来のある旗と言えるでしょう。
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