ならはの絵馬−村人の祈り−-003/036page
I 村人の祈り
1.武 者 図
戦乱に明け暮れた武将たちが武運長久を祈願し、過去の勇者にあやかるため絵に表したのが始まりとい われる。江戸時代になると武運長久に代わって、天下泰平・家内安全・子孫繁栄・子供の成長等に祈願内 容が変わった。
1.八幡太郎図 寛政12年(1800) 上小塙 木戸八幡神社(目録5)
源義家は平安後期の武将で奥州征伐で活躍、東国の鎮守府将軍になり私財で兵士に恩賞を与え人望を得た人物である。石清 水八幡宮(京都)で元版したことから八幡太郎と号し、各地に八幡神社の勧請が始まったという。義家が弓で岩間から清水を 湧かせたという物語を絵にした貼絵。奉納者は木戸下町で問屋を営んでいた松本武兵衛である。
2.神功皇后三韓征伐国 文化4年(1807) 上小塙 木戸八幡神社(目録6)
神功皇后とは14代仲哀天皇の皇后のことで、「三漢王日本大将軍」と銘があることから、天皇の死後朝鮮の三輪(新羅・高句 歴・百済)に進出し、神功皇后が征伐したという説話を描いたもの。絵は弓を手に甲冑姿の皇后と家来。その前にひれ伏す朝 鮮人と白旗を描く。天下泰平祈願を意味する。