わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 003/110page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

   近代の変遷

 慶応4年(1868)王政復古を唱える志士の蹶起によって戌辰戦争に発展した。幕領や私領の支配下にあった町内各村は西軍の進行するところとなった。二ツ沼(広野町)岩沢(山田岡)が戦地となり山田岡、下小塙村の町並は全焼している。同年7月平藩は攻略され同年9月会津藩の降伏により戌辰戦争は終わり明治維新となる。

 当地方は平民政局などの管轄となるが明治2年の版籍奉還後、白河県、平県、磐前(いわさき)県と管轄の変還があって同9年福島県に統一された。

 明治22年町村制施行によって木戸村、滝田村となるがその間新国家建設の変動期の中にあった村々は政治、経済、文化を振興発展し近代社会を歩み続けた。

   木戸村、滝田村の成立

 明治22年山田岡、山田浜、前原、下小塙、上小塙村の5か村は木戸村となり、井出、北田、大谷、上繁岡、下繁岡、波倉村の6か村は滝田村となった。

 明治の中頃木戸駅の開設、のちに竜田駅が開設された。石炭、粘土の採掘、富岡営林署の官行事業、民間の木炭生産、木戸川発電所の運転など農林鉱産物の輸送によって木戸駅、竜田駅を中心に発展した。日清、日露の戦役があり、大正、昭和に入っては、農村恐慌に遭遇しながらも自立更正が図られた。

 軍国主義の政策は第2次世界大戦に発展し、多くの犠牲と社会疲幣をもたらした。昭和20年8月終戦、その後の国民の努力によって外国を凌ぐ経済成長を遂げ、このような社会背景の中で村は大きく進展した。

   躍進する楢葉町

 昭和31年9月市町村合併促進法の実施に伴い木戸、竜田村は合併して楢葉町が発足した。楢葉町の誕生により新町5か年計画など諸計画を策定しその達成を図ってきた。

 昭和46年東京電力福島第2原子力発電所の建設基地に決まり、電源三法の施行に伴い楢葉町振興計画を策定し、交付金事業によって年々その達成を図り、双葉のエネルギー都市づくりが進められている。  参照「ならは」生いたち P5・6・7より


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は楢葉町教育委員会に帰属します。
楢葉町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。