わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 002/110page

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 室町時代には岩城氏は戦国大名としてその勢力を伸ばす反面、楢葉氏は衰退を辿り文明年間(1470項)岩城氏は猪狩氏に知行を宛行(あてが)いその勢力を助ける。町内7か所に残る館跡は中世戦乱を偲ばせる。

 天正18年(1590)豊臣秀吉の天下統一による奥州仕置きの結果、楢葉郡は岩城領内におかれた。慶弔5年(1600)関が原合戦には岩城貞隆は石田方(豊臣方)に組した為領地は没収され、のちに亀田藩(秋田県)に転封された。家臣猪狩氏も陸前(宮城・岩手県)方面に四散し戦国時代は終わりを告げる。

 文禄4年(1695)の村々は山田村、前原村、小塙村、井出村、大谷村、波倉村、脇ヶ浜村の7か村であった。

支配めまぐるしい江戸時代   支配めまぐるしい江戸時代

 慶長8年(1603)徳川家康は幕府を開府した。岩城平藩主には鳥居忠政、続いて内藤政長が入封、楢葉郡はそのしはいに属するが六代藩主内藤政樹が元文百姓一揆(1739)の失政によって転封されるまで145年間続いた。その間村々は新田開発、分村が進み山田浜、前原、下小塙、上小塙、井出、北田、大谷、上繁岡、下繁岡、波倉の11か村になった。

 その後、村々は幕府直轄領(天領)、私領と変遷支配を受ける。山田岡村ほか7か村は幕府直轄支配となり小名浜、梁川、川俣、桑折、浅川の各陣屋、代宮の変遷支配を受け、井出、上小塙、前原の3か村は幕領のほか、新発田藩領(新潟県)棚倉藩領(東白川郡)、幕末には多古藩領(千葉県)と変還支配を経て明治維新を迎える。

 各村は分断統治されたことによって村の仕事や財政に影響があり、村人にも大きな負担となった。加えて凶作災害も重なり生活にも制約があって苦しい江戸時代が続いた。これらの分断統治の歴史は産業、経済、文化の後進性を生み出した要因になったものと考えられる。


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