広野町勢要覧 -001/031page
北迫村に広野町立つ 「広野」の地名は、天正十年(一五八二年)岩城常隆統治の 際「北迫村に広野町立つ」とあるのが最初とされていますが、 寛文十年(一六六九年)に書かれた『磐城風土記』では、磐城 城下から久之浜・広野・木戸・富岡を経て相馬に通じる「相 馬路」の宿駅で、「広野宿」が設けられ「広野」の地名が登 場します。
「広野」の地名は、天正十年(一五八二年)岩城常隆統治の 際「北迫村に広野町立つ」とあるのが最初とされていますが、 寛文十年(一六六九年)に書かれた『磐城風土記』では、磐城 城下から久之浜・広野・木戸・富岡を経て相馬に通じる「相 馬路」の宿駅で、「広野宿」が設けられ「広野」の地名が登 場します。