広野町勢要覧 -002/031page
北迫村に広野町立つ
明治22年4月1日(1889年)『大日本帝国憲法』の発布に基づく各町村間の合併施行において、地勢や歴史性に共通面があるとする夕筋・栃木・上浅見川・下浅見川・上北迫・下北迫の6ヵ村が合併、「広野村」が成立、当初の広野村役場は、大字下北迫字東町6番地に置かれました。
その後、紀元2650年祝賀を契機として、昭和15年4月1日に町制施行し、「広野町」となります。
広野町を南北に海辺沿いに走る街道を、古くは「海道」とか「東海道」戸呼ばれていました。『続日本紀』の養老3年(719年)の条に、「石城国始めて駅家一十処を置く」と記された駅家のひとつが広野にあったと推測されます。
広野町の比嘉氏は太平洋、西には阿武隈山脈が連なり、東西13km、南北7kmの広さです。西端は、東経140度52分10秒でいわき市に、東経141度01分50秒で広野火力発電所の突端になります。太陽の南中高度は夏至のとき役76度で、冬至には最適約30度となり、この範囲内で季節により少しずつ移動します。山は五社山、北迫川・浅見川・栃木川の3つの川と、二ッ沼・西ノ沢池の沼地などがあり、温暖で寒暖の差が少ない気候です。