ふるさと ひろの -033/038page

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伝説(でんせつ)・言い伝え

 広野町の「町史(ちょうし)」を見ますと,広野町にはたくさんの伝説や言い伝えなどがあります(その中から,いくつかを紹介(しょうかい)します。

○ 奥州(おうしゅう)日の出の松

松

 昔,下浅見川を治めていた岩城判官正氏(いわきはんがんまさうじ)が,謀反人(むほんにん)により殺されてしまいます。そのために,奥方(おくがた)は安寿姫(あんじゅひめ)と厨子王(ずしおう),それに乳母竹(うばたけ)を伴(ともな)って,諸国(しょこく)を巡(めぐ)る流浪(るろう)の旅(たび)に出ますが,途中(とちゅう)海賊(かいぞく)に騙(だま)され,二人の子供は人買(ひとかい)にさらわれてしまいます。奥方(おくがた)はこれを悲(かな)しみながら,乳母竹(うばたけ)の里(さと)である浅見川村で亡(な)くなってしまいます。一方(いっぽう),人買(ひとかい)にさらわれ,厨子王(ずしおう)とも離(はな)れてしまった安寿姫(あんじゅひめ)は,やっとのことで悪者(わるもの)の手から逃(のが)れますが,辿(たど)り着(つ)いた浅見川の地に倒(たお)れ世(よ)を去(さ)ってしまいます。これを哀(あわ)れんだ村人達は,奥方(おくがた)と安寿姫(あんじゅひめ)の亡(な)きがらを埋(う)め,そこに松の木を植(う)え手厚(てあつ)く弔(とむら)いました。

○ 二ツ沼と弁天坂(べんてんざか)

あひる

 二ツ沼は,詩情(しじょう)溢(あふ)れる地として知られています。万葉集(まんようしゅう)第十四巻にも詠(よ)まれた場所は,まさに,ここをおいて無(な)いとされ,歌碑(かひ)が建(た)てられています。また,1786年には,沼の洲(す)に弁財天(べんざいてん)が祀(まつ)られて,それ以降(いこう),ここで雨乞(あまご)いの祈願(きがん)が行われていました。このようなことから,二ツ沼を弁天沼(べんてんぬま)ともいい,また,沼の東を通る坂を弁天坂(べんてんざか)とも呼(よ)んでいます。戊辰戦争(ぼしんせんそう)では,この二ツ沼を中心とした地に,相馬藩(そうまはん)・仙台藩(せんだいはん)を中心とした東


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