ふるさと ひろの -034/038page
軍が溝塁(みぞるい)を築(きず)いて防戦(ぼうせん)を張(は)ったことから,激戦(げきせん)の地となりました。ここでの戦いを,西軍では弁天坂の戦いと呼び,東軍では広野の戦いと呼んでいます。
○ 下北迫の地蔵(じぞう)
1784年から1788年にかけて,東北の各地を襲(おそ)った大凶作(だいきょうさく)と洪水(こうずい)により,この広野の地においても,多くの人々が飢餓(きが)や疫病(えきびょう)により亡(な)くなりました。下北迫の旧(きゅう)広野に祀(まつ)られているお地蔵(じぞう)さまは,天明(てんめい)の飢饉(ききん)のときに亡(な)くなられた多くの人々の供養(くよう)のためにと,林蔵寺(りんぞうじ)十七世教蓮社良宣上人(きょうれんしゃりょうせんしょうにん)のお勧(すす)めで,夕筋(ゆうすじ)・折木(おりき)・浅見川(あさみがわ)・上北迫(かみきたば)・下北迫(しもきたば)など楢葉郡内(ならはぐんない)十力村の人達によって1788年に造立(ぞうりつ)されたものです。この地蔵(じぞう)さまは,もともとは旧(きゅう)広野に祀(まつ)られておりましたが,一時(いちじ),林蔵寺(りんぞうじ)にお遷(かえ)しされたことがありました。しかし,林蔵寺(りんぞうじ)に遷(かえ)られてしばらくして,旧(きゅう)広野の町は大火(たいか)に遭(あ)いました。町の人々は「これは,地蔵(じぞう)さまをお遷(かえ)ししたからだ」と言って,再(ふたた)び元の所へお帰り頂くようお願いしました。林蔵寺(りんぞうじ)にお遷(かえ)ししたときにはなかなか動かなかった地蔵(じぞう)さまをお載(の)せした台車(だいしゃ)も,お帰りになられるときには楽に動きましたし,お地蔵(じぞう)さまも「にこにこ」と喜(よろこ)んだお顔をされておられたと言われています。
天気に関する言い伝え
- 夕方の東風は晴れ。
- 西風が吹くと晴れる。
- 五社山に雲が掛(か)かると雨。
- 三森山に雲が掛(か)かると雨になる。
- 汽車の音がよく(近く)聞こえると雨になる。