いわき市教育委員会指定 平成9・10年度 研究実践校報告-40/40page

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3 研究のまとめ
1、研究の成果
 ○ 検証授業のあり方を共同研究として他教科でもお互いに深め合える内容をめざした。検証授業においては単元全体で身につけさせたい基礎学力を明示し、身につけさせるための単元を通しての「手だて」を計画し、本時の授業のねらいと意義を明らかにした。この授業で何を生徒に身につけさせたいかが明確となったことで、授業者がどのような意図でどのような手だて(指導法)を指導過程に組んだか研究の焦点となり、検証授業において、意図、手だてが妥当であったのか、改善すべき点は何かという視点で協議できたのである。
 ○ 検証授業で研修したことを各教科の日々の授業に生かす。授業は知識を覚えさせるだけではなく生徒が将来自ら学んでいくための土台を築くこと。このような視点で「授業構成」を協議することで、各教科の専門性という枠を乗り越え、全員であるべき授業を検討することができた。考える力、気づかせる力、次の活動をやってみようという意欲をどこでどう意図しているのかを検討しながら「授業」とは何か、という教師としての原点を追求できた。
 〇 「豊かな表現力」、本校生徒が社会で自らの良さを発揮して生きていくための力や各教科における豊かな表現が明確になり、他教科でも共通の視点で授業分析をする時間が持てた。いずれにしても「表現」とは生徒を生かすもの、生徒が自らの言葉で語るものであって、教師の型の物まねではない。(練習としての型は重要ではあるが)授業に生徒の「表現」があるか、どこがよかったか、何を改善すべきか、という「授業」の本質を分析する共通実践ができた。
2、今後の課題
1単位時間の授業でめざす基礎学力とその手だてについては、一応の共通実践はできたが、各教科の普段の教科経営として学年を通しての「生きる力」の定着を見通すこと、それを意識して日々の授業を設定するよう努めたい。表現技術は磨かれても生徒のメッセージはない。自分が授業に生かされていないといったことも実際の授業の中では見受けられた。原因を考えると基礎学力の指導そのものを十分にせずに生徒主体といって自由に活動させるといった放任があったり、基礎として生徒は何を身に付けるか、その基礎からどんな表現ができるか、その時間と活動の保証、意欲を引き出す設定はどうずればよいかなどを、ただ単に表現(発表)させるだけで、指導の方向性やそれに至る支援が欠如したことが考えられる。「この授業でよかったのだろうか。こんな授業で生徒は幸せなのだろうか。」自分の授業に対する不安、不満こそが、よりよい授業追求のエネルーギー源である。見つめる先は生徒であり、田人中のこの子たちに自分の教科を通してこんな人になってほしいと願う。だからこそありきたりのもので納得するのではなく、授業において存在できるのは学習者と指導者の二者のみであり、眼前の愛すべき生徒たちに既成のものだけを与えるのではなく、手作りで、作りたてのものを生徒と共に味わう、そんな授業者集団でありたいと願わずにいられない。
生徒の実態でも述べたとおり、本校生は基本的に純粋で素直な生徒たちである。教師の指示に従って活動する。このことは授業が楽だという低次元の発想を教師に植え付ける危険がある。しかし全く逆である。授業を創造するにあたってその教師の指導技術、人間性が問われることになるのである。本校で自分の理想とする授業ができない理由は何もない。自分の教科でめざす生徒像に本校生を近づけられないようでは、ましてや本校生の目が曇るような授業を提供していては、教師として通用しないというくらいの認識、危機感を持つことは当然である。本校だからこそ教師の専門的指導力が厳しく問われることをお互いに肝に命じたい。「今日は〇〇の授業を受けに学校に来たんだ。」実際に、ごく普通の生徒にそこまでさりげなく言わせてしまう授業者(しかも質の高い、激しい授業である)が本校にも存在するのである。



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