亜欧堂田善作品集 -061/065page
略 年 表
西暦 年号 干支 年齢 亜欧堂田善 美術・一般関連事項 1797 寛政9 丁巳 50 松平定信「退閑雑記」著す。 1798 寛政10 戊午 51 松平定信より江戸の白河藩邸に出府するように命じられる。この頃「銅版下絵曳馬図帖」を制作する。この作品はドイツの銅版画家ヨハン・エリアス・リーデインガーの「銅版諸国馬画集」を模写したものと考えられる。 1799 寛政11 巳未 52 須賀川に白河藩校の第二敷教舎できる。 司馬江漢「西洋画談」を著し、銅版画創製についてふれる。 1800 寛政12 庚申 53 松平定信編纂の「集古十種」できる。 伊能忠敬、蝦夷地測量。 1801 享和元 辛酉 54 この頃司馬江漢に西洋画を学ぶ。 1802 享和2 壬戌 55 絵馬「洋人曳馬図」を東堂山満福寺(福島県小野町)に奉納する。 1805 文化2 乙丑 58 年紀所見の銅版画「驪山比翼塚」を制作する。 若杉五十八没す。(47歳) 1807 文化4 丁卯 60 銅版画「多賀城碑」を制作する。幕府天文方の高橋泉保らに世界地図制作が命ぜられる。 1808 文化5 戊辰 61 宇田川玄真編「医範提綱」の附図「医範提綱内象銅版図」を制作する。扉絵は弟子の新井令恭が担当する。 間宮林蔵ら樺太探検。 1809 文化6 己巳 62 銅版画「新鐫総界全図」「日本辺界略図」を制作する。銅版画「ゼルマニア廓中之図」「河豚図」を制作する。 月僊没す。(69歳) 1810 文化7 庚午 63 銅版両「新訂万国全図」完成する。絵馬「佃島之図」を諏訪明神(須賀川市諏訪町)に奉納。(明治24年焼失) 森嶋中良没す。(55歳) 1812 文化9 壬申 65 松平定信、家督を定永にゆずり、楽翁と号す。田善この年から文化13年までの問に郷里須賀川に帰る。 1813 文化10 癸酉 66 石井雨考、大隈滝(須賀川市・玉川村の境を流れる阿武隈川にかかる現在の乙字ヶ滝)に芭蕉翁の句碑を建立する。 1814 文化11 甲戌 67 石井雨考の著した句集「青かげ」の挿絵に、銅版画「陸奥国石川郡大隈瀧芭蕉翁碑之図」を制作する。市原多代女が序文を書く。 1815 文化12 乙亥 68 杉田玄白「蘭学事始」を著す。 1816 文化13 丙子 69 絹本彩色「大隈滝之図」を制作する。 1817 文化14 丁丑 70 杉田玄白没す。(85歳) 1818 文政元 戊寅 71 門人の遠藤香村に油絵具の法を伝える。 司馬江漢没す。(72歳)伊能忠敬没す。(74歳) 1822 文政5 壬午 75 郷里須賀川で没す(5月7日)。長禄寺に葬られ「一翁如旦居士」の法名がおくられる。 田善の門人遠藤円一「亜欧堂田善像」を制作。 1827 文政10 丁亥 石井雨考没す。(79歳) 1829 文政12 己丑 松平定信没す。(72歳) 1840 天保11 庚子 谷文晁没す。(78歳)