亜欧堂田善作品集 -060/065page
略 年 表
西暦 年号 干支 年齢 亜欧堂田善 美術・一般関連事項 1728 享保13 戊申 平賀源内生まれる。 1733 享保18 癸丑 杉田玄白生まれる。 1747 延享4 丁卯 司馬江漢生まれる。 1748 寛延元 戊辰 1 奥州須賀川(現在の福島県須賀川市諏訪町)に、永田惣四郎の次男として生まれる。本名は永田善吉。 佐竹曙山(義敦)生まれる。 1749 寛延2 己巳 2 俳人石井雨考須賀川に生まれる。 小田野直武生まれる。 1754 宝暦4 甲戌 7 森嶋中良生まれる。 1755 宝暦5 乙亥 8 父、惣四郎没し、田善の兄丈吉が家業の染物屋を継ぐ。異国染めをはじめる。丈吉は狩野派に学び毘山と号す。田善は家業を手伝いながら、兄に絵を学ぶ。 1758 宝暦8 戊寅 11 松平定信江戸に生まれる。 1762 宝暦12 壬午 15 「絵師須賀川永田善吉」として絵馬「源頼義水請之図」を古寺山白山寺(須賀川市上小山田)に奉納する。 1763 宝暦13 癸未 16 谷文晁生まれる。 1773 安永2 癸巳 26 田善の妻没す。 平賀源内、鉱山開発のため秋田藩に招かれ、秋田藩主佐竹曙山、藩士小田野直武に西洋画法を伝える。 1774 安永3 甲午 27 杉田玄白、前野良沢他「解体新書」を著す。小田野直武「解体新書」の挿絵(解剖図)を木版画で描く。 1776 安永5 丙申 29 松平定信奥州白河藩主となる。 俳人市原多代女須賀川に生まれる。 1778 安永7 戊戌 31 後妻をむかえ、貞順(静庵)生まれる。 佐竹曙山、日本初の西洋画論「画法網領」「画図理解」を著す。 1780 安永9 庚子 33 小田野直武没す。(31歳) 1783 天明3 癸卯 36 司馬江漢、日本最初の銅版画「三囲景」を制作する。 1785 天明5 乙巳 38 伊勢の寂照寺に月僊を訪ね、かれに師事する。 佐竹曙山没す。(38歳) 1787 天明7 丁未 40 松平定信、老中首座となり「寛政の改革」はじまる。 森嶋中良「紅毛雑話」を著す。その中に銅版画制作の方法が載せてある。 1789 寛政元 己酉 42 月僊、寺再建の資金を集めるため、諸国行脚の途中須賀川により、田善と再会する。 1791 寛政3 辛亥 44 兄、崑山没す。(55歳) 1793 寛政5 癸丑 46 松平定信、老中職を辞する。 司馬江漢、前年制作した日本最初の銅版画世界地図「與地全図」を改版して「地球全図」を制作する。 1794 寛政6 甲寅 47 松平定信、領地巡視のため須賀川に立ち寄り、田善の「江戸芝愛宕山図」屏風を見て関心し、田善を谷文晁に入門させる。 1796 寛政8 丙辰 49 松平定信の城下、白河の会津町に移り、名を太仲と改める。このときより、田善御用絵師となる。