吉田冨三記念館だよりNo.6号 -004/016page
「がんの異物化」で思い出すこと
第9回吉田富三賞受賞者
(財)札幌がんセミナー理事長 北海道大学名誉教授 小林 博研究にはいろいろな進め方がある。人によって大きく違うが、私の進め方はどちらかというとがんを物質として見る「化学」としてではなく、出来れば 「生物」として、少なくとも「生きている物」(生命あるもの)として考えたいということであった。
1950年代、いまからおよそ50年前の私どものがん研究はもっばらネズミ(ラットといわれるタイゴクネズミか、マウスといわれるハツカネズミ)を使うことが主体であった。吉田肉腫とか武田肉腫という、ネズミの個体から別個体へ移植の可能ながんが発見され、しかもがん細胞一個一個がバラバラに腹水のなかで増殖可能ながん(腹水腫瘍といわれた)が研究の重宝な材料であった。たった一個 のがん細胞を移植されただけで、やがてがん死をむかえるネズミの赤い目がいとおしく見えたものだ。「異物化」の発見
1960年代後半、あるときこんな実験成績に出あった。教授になって間もない私のところに何人かの大学院生がきたが、そのうちの一人細川眞澄男さん (現北大教授・医学部癌研)がマウスの白血病ウィルスを生まれたばかりのラットの赤ん坊に注射したところ、数ヵ月たって成育してから出てくるがん(白血病、リンパ腫)が遺伝的に均一な別個体のラットに移植しても増殖してこないのである。どう見ても立派ながん細胞がなぜか増えてこない、これは技術的なミスがあるのではないか、そんなことではダメだといって直接移植を担当した若い技術補助員に注意したくらいである。ところがこのようながんも立派ながんに間違いないことは、その後免疫力を落としたラットではよく増えてくることからも明らかであった。
この不思議な現象の仕組みをみんなで討論しているときに、当時講師の小玉孝郎さん(現北海道勤医協臨床検査研究所所長)は「すでに実験に広く使われているラットに移植のできるがん(移植性腫瘍といっていた)に、マウスの白血病ウイルスを人工的に感染させてやったらどうなるか、感染したがんはひょっとしたら治ってしまうのではないか?」と何気なく発言したのである。
当時はみんな若かったし昼の研究もよくしたが、仕事を終えたあとの酒もよく飲んで議論をした。ある夜みんなでススキノで歓談していたとき、一番の酒豪だった仙道富士郎さん(現山形大教授)が珍しいことに実験のやり残しがあるからといって一人研究室に戻っていった。
ところが翌朝、仙道さんが「がんが治ってきた」といって興奮しているのである。小玉さんのヒントで始めた実験がうまくいって、増殖するはずのラットのがん細胞が予めウィルスの人工感染を受けただけでみんな治ってきたのである。私たちはこの現象をすぐがん細胞の「異物化」と名付け、英語でも 「ゼノジェニゼイション xenogenization」と名付けて1969年、最初の論文を発表した。異物化の仕組み
がんはそもそも自分の体内の細胞ががん化して出来たものである。体外の物質、つまり異物が体内に入れば体内の免疫機構が働きそれを排除する。だが、自分の体内で出来たがんは、身内であるがために体内の免疫機能の監視の目を逃れて、体内で容易に増殖してしまう。これががんが体内で増えることの出来る一つの仕組みと考えられている。だからそのがんを何かの方法で自分(セルフ)のものでなく他人(ノットセルフ)のもの、つまり「異物化」してやればがんも容易に増えることが出来なくなるのではないか、という考え方が成り立つのである。
この異物化の試みがほかのどんな種類のがんにも見られるかどうかということでラットのいろいろながんを使って繰り返したが、結果はみんな同じようにうまくいった。つまり本来がん細胞を移植さ れたラットは死ぬはずなのに死なない。がんがいったん大きくなっても、そのうちに小さくなってみんな治ってしまうのである。後でわかったことは、このようながんの自然退縮、あるいは自然治癒(厳密には人工治癒というべきなのだろうが)は免疫の仕組みによっておこるこ