吉田冨三記念館だよりNo.6号 -005/016page
とが証明された。いずれにしてもこのようながんの自然退縮の実験モデルは世界で最初のものであった。
ひらたくいうとラットのがん細胞の膜面にマウス由来の新しい物質がつくられ、これがラットの免疫機構によって異物として認識されるためにがん細胞は叩かれ、がんは治ってしまうのである。ラットとマウスは同じネズミでも種が違う異種の関係であるから、ラットのがん細胞に出来たマウス由来の物質(抗原という)はラットの免疫機構によって異物として認識され拒絶されるのは当然といえば当然のことである。免疫療法への応用
がんが治ったあとの生体にはそのがんに対するかなり強い免疫が出来てくる。これは生きた細胞による免疫であるから当然なことで、いままで知り得たなかでの最強の免疫ということが出来た。だからこのような異物化したがん細胞を「生ワクチン」としてがんの免疫療法に使うための実験はさきの小玉さんはじめ何人かのスタッフによって進められた。
たとえばラットのがんを手術でとったあと、どこかに隠れた転移がいずれ大きくなって死んでしまうようなモデルをつくっておき、手術のときとっておいたがん細胞を異物化させ、これを「生ワクチ ン」としてあとから注射するのである。この生ワクチンは異物化したがん細胞であるのでこれが増えて生体を殺すような心配はないし、しかもさきに述べたように強い免疫が出来る。だからこの免疫を 利用して、隠れたがん転移があったとしてもそれが大きくなるのを阻止しようというのである。この実験はある程度うまくいった。「ある程度」というのは実験に使う移植性のがんというのは意外に増 殖が速いので、生ワクチンの免疫効果が発揮される前にがんがどんどん大きくなってしまい、免疫効果が必ずしも十分に発揮出来ないのである。だが、増殖のゆっくりしたがんの場合には生ワクチンは 効いて転移を抑えることが出来た。転移の研究にも
その後、私どもの新しい研究の一つにがんの転移の研究が加わってきた。この転移の研究もさきの「異物化」の研究の延長線上のものであった。というのは異種性のウイルスを使って成功したがん細胞の異物化のような現象が、化学物質によってもおきないだろうかという疑問から始まったからである。ケルセチンといわれる化学物質はフラボノイドといういろいろな食品のなかに含まれる成分の一つであるが、この物質は発がん性はないが細胞の突然変異をおこすことが知られていた。つまり突然変異の働きによって、ウイルスと同じようにがん細胞の異物化がおきないかと考えたのである。
ところが、ケルセチン処理を受けたがん細胞は様々な変化を受けることがわかった。一群のがん細胞はさきのウィルスと同じように異物化をおこし自然退縮する状態になる。ところがもう一群のがん 細胞は増殖性を増したり移転性のポテンシャルを獲得してしまう。つまり突然変異をおこすような化学物質は、あるがん細胞の増殖性を上げたり、下げたりの二面性の働きを持つことがわかってきた。
このような実験から私どもは次第にがんの転移にも興味を持つようになった。「転移を制するものはがんを制す」といわれるくらい、がんの悪性形質の代表は転移であるから、この転移を何とかしたいというわけである。それでは転移するようながん細胞がなぜ出てくるのか、がんが出てくるのは止むを得ないとしても転移のないようながんであればとくに恐れることはないから、転移のないようながんだけをつくることは出来ないものか、いろいろな試行錯誤を繰り返した。たとえば突然変異を極力抑えるような手を尽くすだけで、がんは出来ても転移は比較的抑えられるのである。研究の道とは
研究はいつも順調にいくとは限らない。かなり運、不運に左右される。研究がうまくいっているときの喜びはひとしおだが、不調なときの苦しみはまた大変なものであった。所詮、研究というのは滝の水に打たれる「行」の道に通ずると実感した。しかし、このような研究の辛さのかげに隠れた成功の喜びを求めて、当時苦楽を共にした研究者がその後数多く育ち、それぞれの分野で立派に活躍されているのは、グループのリーダーの立場にあったものとしては何としてもうれしい限りである。
がん研究にも一つの流行がある。アメリカが主導権を取ることが多いのだが、われわれとしては反省すべきことである。何となくアメリカの流行を真似してしまうのである。たとえばがん免疫の分野でいえば、マクロファージ(大食細胞、貧食細胞ともいわれる)の研究が流行になってきたとなると似たような演題が世界中から殺到する。二、三年たってやがて熱がさめ、アメリカ主導のまた次の新しいテーマの流行に移っていくといった具合である。こういったパターンの繰り返しが何十年と続いてきた。
出来れば日本で生まれた研究の芽を日本で育てていく研究、そしてこれが世界的なものに発展していく、そういう研究が多くなっていかねばならないと願っていたが、なかなか大勢にはなっていかな かった。
研究レベルはずいぶん細かくなってきた。むかしの個体、臓器、組織レベルの研究から次第に細胞レベル、さらに遺伝子レベルの研究に進み、現在のがん研究はほとんどすべての専門分野にわたって 遺伝子、分子に関するものになってきた。
分子レベルのものでなければ最先端のがん研究ではないという考えさえ見えてきた。すべて大きな時代の流れである。そうした大きな流れに沿うことは、研究費もとり易いし、世界の流行にのった研 究ではあろう。ただ、がん研究の基本を見据える視点だけは忘れてはいけないと思う。