日本と中國の貨幣展−中村栄一・政子氏コレクション− -001/014page

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中村栄一・政子氏と古銭

 中村栄一氏は一九一四(大正三)年十一月、北海道小樽市生まれであ る、一九三一(昭和六)年、旧制釧路中学校を卒業後、鉄道省信濃川電 気事務所を経て、一九三八(昭和十三)年に南満州鉄道会社(略称「満 鉄」)本社に入杜した。満鉄勤務中は主に内蒙古等の踏査・測量と、事務 所での経理を担当した。一九四五(同二十)年五月、現地応召した。敗 戦後同年十月から、ソビエト連邦クラスノヤルスク近郊の炭坑で復旧出 炭作業に従事したが、一九四八(同二十三)年、中央アジアのタシケン トヘの移動中に発病し、クラスノヤルスクのソ連軍野戦病院で手術を受 けた。手術後は、ペイルウエイ・マイヤーのボリショイカーメニーの沿 岸土質検査ボーリングに従事した。一九四九(同二十四)年七月、ナホト カ港(ポルタラトルメリケンスキー)から高砂丸で舞鶴に着き、父祖の地、 会津若松市に帰った。同年十一月、同市職員に採用された。しかし、一九 七三(同四十八)年に再び発病して、以降は入退院を繰り返した。
 中村氏は、中国・モンゴルに勤務中、同地の広大さ、また文化のすばら しさに感銘を受け、博物館等を見て廻っていたが、 ソ連から帰還後、一九五〇(同二十五)年に東京アメヤ横町の古道具屋でガラクタと共にバケツ に入った古銭を見つけた。店主は「バケツごとタダでいい」と言ってい たが、タバコと引き換えにバケツのまま貰った。そのなかには、たいへ ん貴重な古銭も入っていた。これ以後、中村栄一氏・政子氏御夫婦で中 国・日本を中心とした古銭を収集した。
 御夫婦は、当コレクションについて次のように述べている。

 私たちは、自然が生み出した子安貝から、その神聖さと同時に生 産という意味を読みとり、宝物としての意味ばかりでなく、それが 生み出す値打ちから数値を作り、全てのものに貨幣価値を作り上げ てきました。即ち、数字を活用し、四進法等の方法を用いて数字を 一区切りし、それを集めて数値を作り上げました。しかし、貨幣を 作り、流通させるということは、数学だけの問題ではありません。 同一の貨幣を鋳造するための技術、大量の貨幣を鋳造するための富 と貨幣の流通によって生じる富、そして、貨幣の鋳造・流通を支え る権力と権威、こうした種々の要素が、絡み合ったものが貨幣です。 貨幣の持つ意味を多くの人々に、特に青少年に知っていただきたい。

 中村氏御夫婦が収集した古銭三五四八点を中心とした史料が、一九九 八(平成十)年五月三十日、御夫婦の御好意により当館に寄付された。 今回のコレクション展では、同氏コレクションのなかから中国と日本の 貨幣を展示し、膨大な同氏のコレクションの存在を杜会に知らせること を第一の目的とする。その際、前述した中村氏御夫婦の意図が少しでも 反映できればと考える。

中央・故中村栄一氏、左・政子氏、右・館長高橋富雄
※写真中央・故中村栄一氏、左・政子氏、右・館長高橋富雄


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