福島県植物誌 -081/483page

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はそのビャッコイを見ると、いつもアドニスを思う。白虎隊の精霊と見るのは 私だけの感傷であろうか。


2.アンドンマユミ(ニシキギ科) Euonymus oligospermus Ohwi (Celastraceae)
 アンドンマユミの発見者は、星大吉である。星大吉は福島県南会津郡檜枝岐村の生まれで、 福島師範学校に学び、同校の生物学教師であった根本莞爾の感化によって植物に興味をもつ ようになった。尾瀬ではじめてナガバノモウセンゴケを採集し、根本がそれを牧野富太郎に 送り、それが本州での最初の発見となった。牧野の論文「ナガバノマウセンゴケ岩代国に産す」 (植物学雑誌1900年3月)の記事の中に、「根本莞爾氏の一門下生」とあるのは、星である。 星は、つりの名人であって、郷里檜枝岐でイワナつりをよくした。 昭和9年(1934)8月17日に、弟とともにイワナをつりながら檜枝岐川をさかのぼった。 栃木県境近くまで行った帰りに、見なれない果実を垂れている低木を発見した。 これを京都大学小泉源一教授に送り同定を請うた。その結果、「朝鮮・満州・アムール地方 に産するイトマユミ Euonymus pauciflorus である。日本では初めての発見 で、植物分布上非常に興味あることがらである。」との返事があった。 その後、昭和11年(1936)京都大学の大井次三郎から星にr会津で採集したイトマユミを 調べた結果、朝鮮産のイトマユミ Euonymus pauciflorus Maxim. と相違するので、 アンドンマユミ E.pauciflorus var.japonicus Koidzumiと発表するつもりである。 調べた標本に花がないので、もし花があったら送ってもらいたい。」との要請があった。 産地は奥地なのですぐには行けないでいた。それから3年後の昭和14年(1939)8月現地に行き、 丹念に探したところ、4〜5株あることを確認した。昭和16年(1941)6月10日現地に行ったとき は、すでに花が終ったものが多く、それでも2〜3個の花をつけたのがあったので採集した。 しかしこれもおしぼ標本を作るうちに、花弁は落ちてしまった。花の観察記録とともに 大井次三郎に送った。星の観察によると、「花序は葉腋に単生し、花軸は長いが葉よ りも短かく、先端に1花をつけ、葉上に乗っている。萼片4、花弁4、色は淡黄緑色、 雄しべ4である。」とある。
 この植物は大井により Euonymus oligospermus Ohwiアンドンマユミ新種として 発表された。(植物分類地理5,1936)。奥山春季は、イトマユミの変種 E.pauciflorus var. oligospermus (Ohwi) Okuyama の見解を発表している。本種は、その後他所では 未だ発見されていない福島県特産植物である。


参考文献

表郷村郷土史編纂委員会,1966,郷土史330pp.白河。


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