福島県植物誌 -080/483page

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で、小林先生は貞次郎よりビャッコイのことを聞いて、御自身現地を調査し、 福島大学理科報告その他に発表している。
 清水傳吉は金山から犬神へ行く途中の黄金川畔の小山の麓の清水にもビャッコイがあった と言っていたので、1950年頃貞次郎と私は何回かその辺をさがしたが、ついに見つけ られなかった。山麓ということなので、上砂が流入して絶滅したのかも知れない。
 ビャッコイは牧野の原記載では学名はScirpus pseudo-fluitans Makino とされた。 ヨーロッパ、アフリカ、南アジア、マレーシアなどに産する S.fluitans Linn. によく 似ているが、それより栄養体と花部が大きいことで区別されるようである。 しかし原記載には、S.fluitans の変種の可能性も多分にあるとしている。小山鐡夫 博士(1958)はビャッコイを亜種に落として、学名を S.fluitans Linn. subsp. pseudo -fluitans (Makino) T.Koyama と改めた。原色日本植物図鑑(1978)には学名が S.crassiusculus Hooker ex Benth. et Muell.とし、S.pseudo-fluitans Makino を シノニムにしている。私は S.crassiusculus については何も知らない。新 日本植物誌(1983)ではビャッコイをもとのままに S.pseudo-flitans Makino とし、 そのシノニムに S.fluitans Linn. subsp. pseudo-fluitans (Makino) T.Koyama ; ?S. crassiusculus Hook. をあげている。いずれにせよビャッコイはそれにもっとも近い S.fluitans Linn. がヨーロッパよりアフリカ、インド、マレーシア にかけて分布し、それらの地方から台湾、中国、琉球を飛び越えて遠く金山の地に隔離し、 孤立したことから分化したものであろう。
 清水傳吉は晩年は東京三河島に住み、貞次郎とはしげく行来していた。ビャッコイが ふたたび世に現われだした頃、清水はビャッコイの産地が戸ノロ原であることから 白虎隊にちなんで名づけられたものである。しかしそれは戸ノロ原にはなく、 全国で金山にしかない、つまり自虎隊とは無縁なので、名前はカネヤマイと改め るべきであると主張し(植物研究雑誌31巻、1956;表郷村郷土史,1966)、牧野博土や本田博士 に働きかけた。両博士とも困惑の様子であった。私は清水の主張には賛成しなかった。 理由は次の通り。
 慶応4年(1869)の戊辰の役では、6月24日に旗宿(白河の関跡がある)から進撃した官軍 によって貞次郎の生家(油屋、金山4軒口の1つ)とその養子先の豊倉(私の生家、 私はまだ生まれていたい)がまっさきに焼き打ちされた。前老は棚倉藩に米と金子を 提供して協力した(じつは強制徴発)、後老は硝煙製造所のかどによるものとされた。 別働隊によって棚倉が落城した日と両鈴木家の焼き打ちは同じ日だったと、私が子供の 頃、村の古老は言っていた。そして9月に会津城が落ち、白虎隊の若い命は花と散った。 程度の差こそあれ、白虎隊の自刃と油屋の焼き打ちとは戊辰の役の災難という点で一致す ることになる。瀬戸原の油屋の別荘の池にビャッコイが生えていて、それが新種となった ことは、はなはだくしきえにしであり、むしろ過ぎたるよい名であるとさえ思っている。 もちろん油屋の別荘は牧野博士の知るよしもなかったことであるが、結果とし ては清水が言うな無縁なものではないであろう。
 ギリシャ神話に、少年アドニスが森のなかの夜道でオオカミに喰い殺された。翌年そこ に真赤な花が咲き乱れ、アドニスを愛していた女神がそれはアドニスの血だと言って、 それにアドニスの名を与えた(Adonisはフクジュソウの学名、かの地のものは花が赤い)。 こんこんとわきでる清水に、そしてきれいな小砂利にビャッコイが生えている。 花はすこぶるじみで目立たないが、よい環境を得て、年中青青とひっそり生きている。私


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