ふくしま文学のふる里100選-011/30page

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12 少年
金子兜太
俳句  昭和三〇年(一九五五)

 作者二〇歳から三五歳に至る十六年間の作品四九七句を収録している。日本銀行に勤務し、昭和二六年から二八年までの福島支店時代の作品を、「福島にて」と題して掲載している。

 会津の山々雲揚げ雲つけ稲田の民

 裏庭蒼い銀行の夕暮を持ち帰る

17 深呼吸の必要
長田弘
詩  昭和五九年(一九八四)
深呼吸の必要
 「団栗」という詩に、

 団栗にはなぜかしら、いまはもうおもいだすこと
 もできないような、幼い記憶の感触がある 

 とあるように、日常生活の中のものごとを通して、今では忘却してしまった私たちの成長期の心の在り方、行方などを、時間をとめるようにゆっくりと深呼吸しながら思索した、読者の心にしみこんでくるわかりやすい散文詩集である。

 作者のこうした詩作の態度は、この詩集中に描かれた中国の詩人梅尭臣(ばいぎょうしん)に通じていよう。

 福島に関わる現代詩人には、詩集『孤島記』でH氏賞を受賞した粒来哲蔵、詩集『海の方へ海の方から』で第一回福田正人賞を受賞した若松丈太郎、詩集『われらを生かしめる者はどこか』で注目された稲川方人などがいる。

安達太良山

29 智恵子抄
高村光太郎
詩  昭和一六年(一九四一)

 あれが阿多多羅山あの光るのが阿武隈川(「樹下の二人」の一節)
  
 智恵子は東京に空が無いといふ(「あどけない話」の一節)

 これらの詩でよく知られる作品を収めた詩集。
智恵子抄
 最初の詩「人に」(大元)から最後の詩「荒涼たる帰宅」(昭16)まで詩二八篇と、歌六首、散文三篇を載せている。光太郎が、智恵子との出会い・恋愛・結婚、智恵子の発病から死までとその後をうたった第二詩集であり、彼自身「『智恵子抄』は徹頭徹尾苦しく悲しい詩集であった」と述べている。

 この詩集は、太平洋戦争直前の暗い世相、時代のなかで刊行され、多くの読者の心をとらえた。


56 海港
柳沢健
詩  大正七年(一九一八)
海港
 柳沢健が北村初雄、熊田精華らと合著で刊行した詩集で、健にとって代表的な詩集となる。「Yokohama Sentimental」(ヨコハマセンチメンタル)という副題をもつこの詩集は、ヨーロッパ近代の詩の香りに満ちており、健に限っていえばフランスの詩人ポール・フォールの影響をつよく受けた詩が多い。


63 磐梯
水原秋桜子
俳 句  昭和一八年(一九四三)
磐梯
 秋桜子は自然への憧憬を現実の自然の中から彫り出し、独自の自然風景を創り出した。
 これは昭和一七年から一八年までの句集で「磐梯山の秋」の題で二五句が入っている。

 高空に草紅葉せり火口壁

 山葡萄むらさきこぼれ山日和
金子兜太 金子兜太(かねこ・とうた) 
大正八・九・二三〜、埼玉県生。『寒雷』同人となり加藤楸邨に師事。後に『海程』代表となる。造型俳句から前衛俳句へと走ったが、自らの意志的変革を賭けており、現代俳壇の第一人者である。


長田 弘(おさだ・ひろし) 
昭和一四・一一・一〇〜、福島市生。詩人、評論家。六〇年代に登場した代表的な現代詩人の一人で、詩論集『抒情の変革』(昭40)、処女詩集『われら新鮮な旅人』(同)などの著作がある。

高村光太郎 高村光太郎(たかむら・こうたろう)
明治一六・三・一三〜昭和三一・四・二、東京生。処女詩集『道程』を大正三年に刊行、この年一二月に、福島県安達郡油井(ゆい)村出身で画家の長沼智恵子と結婚する。この二人については佐藤春夫が『小説 智恵子抄』(昭33)でも描いている。

柳沢 健(やなぎさわ・けん) 
明治二二・一一・三〜昭和二八・五・二九、会津若松生。詩人外交官として知られ、活躍する。処女詩集『果樹園』(大3)、評論集『現代の詩及詩人』(大9)などとともに、紀行文集、随筆集も数多い。

水原秋桜子 水原秋桜子(みずはら・しゅうおうし)
明治二五・一〇・九〜昭和五六・七・一七、本名豊。三〇歳で『ホトトギス』の選者となり、昭和八年に『馬酔木』を主宰、独自の清麗典雅な句境をつくった。昭和三九年には日本芸術院賞を授与され、医博で宮内庁侍医寮御用掛も勤めた。


渡部信義(わたなべ・のぶよし)
明治三二・九・五〜昭和六三・一二・二〇、会津高田町生。詩集に『土の言葉』、(昭15)『日本田園』(昭39)などがある。

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