教育福島0007号(1975年(S50)11月)-005page

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巻頭言

 

福島県文化センター所長 平 井  博

 

文化とは

 

文化とは

 

大学生を相手に講義をしていると、いわゆるアルバイトに熱心でさっぱり講義に出て来ないものが少なくない。捕えて聞いて見ると「自分のアルバイトには生活がかかっている」という。我々が親からもらった生命を、ただ食いつないで行くというなら、それは生存であって生活という名に値する生き方とはいわれない。生活というなら、今日より明日へと、より高くより美しい生き方をする様に努力し、そこに生きて行く喜びを発見するものでなければなるまい。

従ってもし文化というものに簡単な定義を下せば「文化というものは我々がただ生存するに止まらず、より高くより美しい生活をする為に我々の先祖から今日迄、創造され培養され伝承されている心身活動の所産である」ということが出来よう。

人間の失敗は過去や現在に満足する所にあり、人間の栄光はより輝かしい未来に向って歩む所にある。ただ生きて行く為にガムシャラに稼ぐだけというなら蟻や密蜂にかわらないものだ。ただ惰性と本能で生きるというなら動物にかわらない。文化的生活というものはより高くより美しく生きることに生き甲斐を発見する生き方なのである。生活するということは口で言うほど楽な事ではない。

文化というものは意識していないと空気の様なものでその存在は解らない。魚は水の中に居るということに気付かない。感受性をとぎすまして、それを捕えようと努力しないと、その存在も価値も発見出来ないものだ。我々は空気が汚れて来ると始めて空気に着目する。不良文化が世にはびこると始めて我々は真の文化の有難さに気付くのである。今日は正にそんな時代なのである。

文化とは顔の表面に塗る化粧品や床の間の飾りものではない。生存のうわべをごまかしたり、陳列して誇る様な装飾品でもない。文化はものでなく心なのである。その心を身の内に持ち、その息を胸の内に吸い込み、それに全身をひたし、その温かみに包まれて生活してこそ意味のあるものである。

文化とはぜいたく品ではない。金のゆとりでなく心のゆとりである。金さえあれば容易に手に入るものではない。金持ちの邸宅などに俗悪趣味の代表の様なものは少なくない。美しい邸宅に住み美衣美食に飽くのが文化生活ではない。カーやクーラーを備えたからとて文化人にはなれない。

人造りとは単によく稼ぐ人を造ることではない。一国の文化の高さというものは、その国の内に一人二人の文化的に高い水準に位する人がいる国でなく、一般国民にどれだけ多く文化を求める人が居るかという事できまるものだと思う。

 

 

 


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