教育福島0007号(1975年(S50)11月)-019page
文化財研修バスについて
文化財に対する認識が見直され、ここ数年、文化財に対する社会の関心が高まっています。それに先がけ県では昭和四十八年度から、愛護思想の普及の一つとして、文化財研修バスの運行を実施してきました。私たちの祖先が残した掛け替えのないこの遺産を保存してゆくには、まず、文化財をよく理解することであります。この意味において、現在実施している研修バスの意義は大きいものです。
実施以来、この研修バスに参加されたものは千余名に上りました。初年度は、各地域の指導的立場にある文化財調査貝等を中心に、現地研修を行ってきましたが、逐年一般の参加者が多くなりつつあります。
研修バスの実施目的方法については例えば教育事務所単位に、いわき管内が会津方部の文化財について研修するなど、見る機会の少ない他管内の文化財に触れ、広く見聞することにあります。文化財を大切にしよう≠ニ声を大きくしたところで、文化財に対する理解と地域住民の協力がなければ、よりよい保存と活用はできません。参加者からは感想文を提出してもらうことになっています。そのうちの一、二について紹介します。
文化財は大切に保存することが先決
山口久夫
本年八月、新地町では約五千年前の遺跡の発掘が行われ、多くの出土品をはじめ、貴重な住居跡が発見された。これは新聞紙上にも報道され、また多数の人たちが目の当たりつぶさに見ることができ、まことに幸いなことであった。そして町民の間にも復元し、ぜひ後世に残したいという切なる声もあったが、諸般の状勢から実現を見ずに終わったことはまことに残念であった。
しかるに今回、研修に参加し、それぞれの場所において実に目を見張るような出土品、文化財の数々が大切に保存されている現状に接し、まことにせん望を感じるとともに、実に心温まる思いがした。そもそも文化財とは、たとえひとかけらの名器、土器あるいは小さな遺跡とはいえ、それは遠い我々の先祖の生活や文化を、はたまた日本古代の真の姿を、そして私たちふるさとの生い立ちを究明し、鮮明にするかぎであり資料であるのは、もちろん言をまたないが、更には、より身近な問題として考えれば、たとえ石斧一つ、あるいは、小さな遺跡一つにせよ、地上に現存する数多くの文化財から埋蔵文化財に至るまですべて、我々の先祖である彼ら自信の手によって作られ、しかも再び求めることのできない貴重な遺産であるばかりでなく、各時代における彼らの英知の結晶であったことを思うとき、そこには言い知れない親近感、価値感をおぼえずにはいられない心地がする。私は、我々の先人を愛し、そしてまた先人の住んだこの郷土をこよなく愛することは、とりもなおさず心から文化財を愛するゆえんだと思う。従って文化財の生命は単にけんらんさや巧みのみがすべてではなく要は彼らが触れに先人の膚のぬくもりにこそ、最も大きな意義があるのではないかと思う。しかも文化財はひとしく国民共有のものであると同時に、そのまま我々自身のものであることを思えば、一人一人が文化財に対する深い理解と、郷土の古い文化に対する誇りと自信を持ち、責任と義務を持って大切に保存し、我々の子々孫々に伝えねばならないことを痛感した。しかし文化財についてはいろいろな問題もあるので、より多くの人々をけいもうし、解決するのが焦びの急であることを、各自の研修を通じ、心から認識したしだいである。
申し遅れましたが、研修に際し、諸先生がたから数々の御配慮と御教導を頂いたこと、また計画内容もまことに適切であったことを深謝し、厚く御礼を申し上げ、拙文をもって感想の一端と致します。
(新地町文化財保護調査委員)
文化財の保護に思う
加藤和一
さわやかな秋空の下、文化財研修に参加するチャンスに恵まれ、祖先の残した文化財を見て回り、大変感動しました。それと同時に、その祖先の築き上げた貴重な文化財をどのように保護し、後世に受け継ぐかを考えさせられました。鮮やかな色に塗り変えられた蛇骨地蔵尊、倉庫の代用にモミガラの入った蝦夷穴古噴、でもうれしいことがありました。個人で寄付されたという日和田の博物館、表情豊かな高倉人形も安住の地を得てはほえんでいるようでした。開成館を、そのまま利用した郡山市の民俗資料館、特にこの民俗資料など、私たちの祖先が衣食住のために与えられたものを最大限に生かし、工夫した汗のにじんだ貴重なものです。ともすれば忘れがちな便利な現代社会において、これらの資料を後世に残すことこそ私たちの仕事だと思います。
(福島市)