教育福島0011号(1976年(S51)06月)-005page

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巻頭言

 

ふるさと精神の高揚

福島県市町村教育委員会連絡協議会長阿部信

われて閉め出されるにきまっている。」といたたまれない気持ちを訴えている。

 

犬養道子は、その著書の中で「私ははっきりとイやなことを書く。それを書くのはつらいけれども仕方がない。公共と名づくすべての場所は汚い。日本人のいるところは汚くなる。……新聞を通じてキャンペンを起こしても、全国歩きまわって講演してもキキメがない。生まれたての赤ん坊をぜんぶ孤島につれてゆき、何千人とヨーロッパからやとって教育してもらい、しつけてもらうより他に妙案はないかもしれない。そんなことでもして日本の文明度を上げぬことには、ただ国内で住みよい社会をつくれぬだけでなく、国際社会からやがてきらわれて閉め出されるにきまっている。」といたたまれない気持ちを訴えている。

日本の人口か、いわゆる静止人口になるのは約五十年後であり、人口規模は一億四千万と、今日より三千万人も増加すると推計されている。東京都があと三つできると考えればよい。 “せまいながらも天国”と歌にもうたわれた私的な場所は、いっそう制約される。

昨年になるが、ほんの短日間、国外に旅行する機会を得たが、はっきり言って、日本の、木の文化、家族主義のなごやかな秩序も決して悪くないと思ったし、何よりも、日本の方が伸び伸びしていて活気がある、と思った。ただ一つ、いまだに脳裏を離れないことがある。言葉は適当でないかもしれないが、ふるさと精神(コミュニティの意識)がわれわれには欠けているということだ。それに反して、ヨーロッパの人たちは、所属する社会、地域にしっかり根をおろして生活しているのである。島国の恵まれた温室育ちのわが国と違い、陸続きで常に敵を意識し、共同体を中心に生活せざるを得なかったことは、街並みを見れば判然としている。加えて街の中心に位置している教会の役割を見逃すわけにはいかないだろう。この堅固なかたまりの中に“ひとに迷惑をかけない”“公共物をたいせつに”というようなしつけの基本が根を下ろしたのであろう。この点われわれ日本の社会、地域はかなり異なっている。われわれは、いま所属している社会、地域から”いっかはもっといいところへ”と志向するいわば 「仮住まい」の精神で生活していないだろうか。たとえば、団地に永住したくないという精神。高等学校は大学進学のための仮住まい、大学は就職のための仮住まい、こんな考え方で暮している人たちが多いのではないか。一時的だと考えているから公共と名のつくところを汚し、人間関係をぎすぎすしたものにする。家庭では潔癖だという同じ人間とは思えない。他を思いやることのない生活態度が幅をきかしている。残念だがわれわれが公的生活・集団生活の面で、大きな弱点を持っていることは否定できない。旅の恥はかき捨て式の考えをまずあらため、自由と秩序権利と義務は表裏一体であることを、頭にたたきこもう。

 

 

 


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