教育福島0013号(1976年(S51)08月)-005page

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巻頭言

 

教育の質を高める

福島県中学校長会会長 遠藤伊雄

ある。そのためにはどうすべきか、本県の特に中学校の立場から考えてみたい。

 

わが国の教育は、文部省の教育白書の指摘や日常の見聞からして、量的拡大や形式上の整備については、世界的にも高い水準に達している。いま当面している課題は、教育の質を高めることであると識者もいい、私も同感である。そのためにはどうすべきか、本県の特に中学校の立場から考えてみたい。

第一は教師の志気である。近ごろ教育の危機・荒廃が叫ばれ、その責任の大半を教師に負わせる議論を多く耳にする。しかし、それは本県の場合は当たらない。たとえば勤務時間にしても、教師は所定の時間を大幅にこえて働き昼には生徒とともに食事をし、午後には生徒とともに掃除をし、ほとんど毎日自宅まで仕事を持ち帰っている。教師はこれほど熱心にとりくんでおり私はその志気に大きな信頼をよせている。それにしても、勤務条件の改善を図り教師の志気が、より本質的な内容に向けられるようにしなければならない。

第二は教育課程である。いま進行している教育課程の基準の改訂について、県校長会では何度か意見具申をしてきたが、今後いっそう活発化したい。今後教育課程審議会の中間発表などに対しては、県中学校教育研究会等の組織を通し、全教師の意見を集約し、これを反映していくべきであろう。

第三は高校入試である。これは中学校教育のありかたに、最も大きくかかわっている問題で、たとえば教材の精選なども、入試出題のことを考えると手が出なくなるというのが実情である。そこで校長会としては、今、明年を一応の期限として、この問題の漸進的な改善策について意見をまとめるべく、準備を進めている。関係機関・団体の指導と、多くの先生がたの協力を期待する。

第四は学習指導法である。生徒の能力差・学力差に配慮のたりない学習指導は、じゅうぶんな成果をあげることができない。従来のわが国の学習指導は、いっせい指導一辺倒のきらいがあり、これが「おちこぼれ」生徒を出す大きな原因ではなかっただろうか。その改善策としては、能力別取り扱いの方式を取り入れることだと思う。その研究や実践は、これまでも一部の教師や学校によって試みられた例はあるが定着しなかった。今後は教育界全体の共通理解のもとに、オーソドックスな学習指導法として推進しなければならない。

第五は生活態度である。教師の前に立っておじぎもせず、授業中も勝手に私語する。これは生徒が教師や学校を甘くみ、その心中に努力とか向上心が欠けている証拠ではあるまいか。卑近な生活態度の指導は、教育の質を高める必須の要件であると思われる。

 

 

 


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