教育福島0016号(1976年(S51)11月)-005page

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「洋才PTAの展望」

 

「洋才PTAの展望」

福島県PTA連合会長 渡部 英治

 

教育は無形資本の蓄積とされ、昔から子弟の教育に情熱を注ぐ世の親は多い。

戦後、日本の荒廃の中から今日の隆昌を築く原動力となったものは教育であり、教育の力がいかに偉大であったかを示すものであるとされている。

年々花同じからず、人歳々同じからず、といわれるが、伝統ある県PTA会長の重責を担うことになった。

私は、父兄会よりPTAと、組織の変り目に育ってきたので、県連PもPTA二世の世代に入ってきたということになる。そのころ、私は新制中学という無試験で入れる学制に反発を感じていた時でもあった。我々は、入試があり、中学では授業料を払ってきたのにとも思った。しかし、中学校の体育館を間借りし、新制中学が発足したのを見て、「無試験で入れる中学とはあんなものかなあ」とも感じたものである。

今日、立場をかえて往時のPTAを想像すると、物理的後援は当然であり大変な父兄負担であったろうと察することができる。

「薩長の国民教育はやがて国を亡ぼす」といった人があった。その亡国論は寺小屋式教育の全廃を意図したものか、富国強兵の美名のもとに貧国強兵の国策を批判しようとしたものかは別として、洋式教育の直輸入に対する危ぐの念であったのかも知れない。

その国民教育は後世に大いなるざ折を味わうことになる。ざ折は民族性なのか、古来の四教の影響が洋教育文化との衝撃によるものかは、計りかねるが第三の教育時代といわれる現代においては、ざ折のない大計が望まれる。PTAも教育と運命共同体であるので、ざ折させないように育てたいものである。

PTAは曲がり角と指摘されるが、組織面で反省を要する点を考えてみると、企画立案と実行運営は車の両輪であり、実行は物理的後援が急がれ、必要にせまられて輪を広げてきたが、一方の企画立案の輪を広げること、すなわち自主性を持たせることには怠りがあり、円滑に進めない状態である。

私は、PTAの運営に当たり、直接子供の教育設備に協力する学年委員会の充実。父母の生がい教育を推進しながら、学校に協力する専門委員会の強化。地区PTAの再編成と組織の強化という三つの柱を運営の中心とした。

また、このことにプラスして、地域の特性を子供にどう伝えるか、この子が通っている学校の伝統とはなにか、特色あるPTA活動はどうすべきなのかといった事がらに留意して、努力することであると考えている。

また、市街地における地区PTAの強化は、青少年の非行化に歯止めをかけるたいせつな要件であり、街区方式による新地域意識の育成、ドーナツ現象による地区割りの再編成等、地域と密着した方向づけを見出す努力を続けないかぎり、PTA活動は形骸化し進学優先の方向ヘエスカレートする集団と化し、ざ折は免かれないだろうと、心配しているものである。

 

 

 


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