教育福島0017号(1976年(S51)12月)-005page

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スポーツ所感

福島県スポーツ振興審議会長 平子 忠

つきるところがなかったのであるが、その一部を摘記すれば次のごときである。

 

先日福島高校創立八十周年記念誌編集資料取材のため、「福中時代を語る会」が母校において催され、大正八年−同十五年までの卒業生十五、六名が集まり、私もその一人として出席、半世紀余年前の懐古談につきるところがなかったのであるが、その一部を摘記すれば次のごときである。

○当時の学校 漱石の「坊っちゃん」に劣らない蛮から時代であり、進学などについては課外勉強など進学対策は全然なかったし、生徒もまたそれぞれ独自の進学勉強をやって、先生に相談したりすることはなかった。進学勉強は学校の授業をさぼったりしてまで相当猛烈にやったが、おおむね五年生の一年間ぐらいで、現在のように長期にわたる灰色勉強ではなかった。また、運動部の試合は学校の名誉を負っての戦いであり、全校生徒が稲荷神社に必勝祈願して選手を激励し、したがって敗戦にでもなれば丸坊主になって謝るなど、なかなか悲壮な面もあったが、自由にのびのびと青春をおう歌することができた。

○先生と生徒の間がら 先生にはそれぞれ特有の強い個性があり、蛮から生徒を御していたのであるが、生徒もまた先生の個性にひかれて、生徒の人間形成の上に多大の影響をうけたのである。

○先輩として現在の生徒に一言

楽しかるべきハイティーンエージャーに全くの灰色勉強を余儀なくされてる社会悪についてはじゅうぶん理解し同青するが、しかし気力のない青白い顔ではどうにもならない。まず健康と精神力を鍛えよ、である。

以上は「語る会」の一部を概記したのであるが、世代の相異とはいえ、現在の受験地獄は異常であり、我々OBは一致して、人間生をゆがめることの著しい灰色勉強を憂え、そして健康と精神力の緊要性を訴えざるを得なかったのである。

幸い近時ようやく社会スポーツの普及発展がみられつつあることは、これら青白い顔追放の一途としても喜ばしいことであるが、しかし未だ本格的社会スポーツというには程遠い感がある。その理由の一つとして、スポーツ行政の劣後性が考えられ、特に指導者の不足と施設の貧困が痛感されるので、この際国・地方自治体の特段の配慮を願ってやまない。

次に社会スポーツと選手スポーツを比較してみると、前者は健康ないしはレジャーを主たる目的としているが、後者は試合を前提として鍛練を重ね勝利を目的としているように思われる。そして最近の試合を見て考えさせられることは、理論的、技術的面においては見るべきものもあるのであるが、なにか非力さが感じられることである。はげしい試合の中にあって日ごろ練習時の理論と技術を発揮するには、じゅうぶんに鍛練されたがん健な体力と精神力を前提とするのでなければ役に立たないことを、特に五士二年全国高校総体を間近に控えた今日、声を大にして要望したい。

 

 

 


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