教育福島0020号(1977年(S52)04月)-005page

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巻頭言

 

教育長に就任して

 

教育長に就任して

福島県教育委員会教育長 辺見栄之助

 

私はこの春、はからずも、前三本杉教育長のあとを受けて、本県教育長に就任いたしました。本年は、くしくも戦後六・三制による新しい学校制度が発足して三十年めを迎える年であります。本県教育も関係者のたゆみない努力によって、飛躍的な伸展・拡充を遂げ現在に至っております。

しかし、本県教育が、まだ数多くの課題をかかえていることも事実であります。就任以来、多くの教育関係者と話をする機会を与えられましたが、教育行政のあり方に、いかに多数の県民の目が向けられているかを確認し、職責の重大さをあらためて自覚するとともに、身のひきしまる感を強くしている昨今であります。

 

ひとくちに教育といっても、その機能や態様は、まことに広範であり多様化していることに、いまさらながら驚かされます。

一般的に教育という場合は、計画的系統的に一定の目的のもとに行われるものをさすのが普通であり、その最たるものは学校教育ですが、家庭教育、社会教育、さらには現職教育などもこの範ちゅうに入ると考えられます。

このような狭義の教育に対し、別な態様の教育として、計画性や系統性のないものが考えられます。きわめて原始的な態様としては、幼児が本能的に親の言動を模倣し、吸収しながら、日常生活の基礎的なものを身につけることなどがあり、とかく社会問題となりやすいマンガ・テレビ・週刊誌などを含む各種マスコミの影響もそうであり社会生活の中で意識しないうちに数多くの事を体得することもすべて一つの教育の態様と考えられます。

 

ここで問題なのは、教育の本筋であるべき前者の教育より、ともすると、後者の方が児童生徒に大きな影響を与える可能性があるということであります。人格形成の基礎作りの時期であるだけに看過できない問題であります。量的にはともかく、少くとも質的には前者が完全に優位性を保っていくことが必須のことと考えるのです。

「豊かな人間形成をめざす生がい教育」の実現は、結局、計画的・系統的な教育の調和のとれた実現を図ることであり、教育行政の課題も、そのための人的、物的、質的な条件整備に集約されるものと考えてよいのではないでしょうか。

 

教育とは何か、学校とは何か、教育と呼ばれる広範な領域の中で、県教育委員会として担うべき行政領域はどうなるのか、私自身完全に理解するにはまだ時日を要するものと考えられます。それこそ、私自身の生がい教育、生がい学習の中に明確に位置づけて、計画的に勉強しなければならないと決意しているところであります。

 

 

 


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