教育福島0022号(1977年(S52)07月)-005page
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巻頭言
心に残る教師
福島県教育庁参事兼高等学校教育課長 高橋幸一
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暑いさなかに、年賀状の話でおそれいるが、年賀状が年ごと増えるので、その時期になると整理しようと思い、一枚ずつ手にしてみていると、どうしても除く気になれないのが教え子の年賀状である。かつての生徒から、二十年も三十年も欠かさず年賀状をうけとるということは、教師として実にありがたいことである。
自分のことをかえりみると、小学校以来社会に出るまで、実に数多くの先生がたに教えをうけた。しかし、現在年賀状をさし上げている先生は、その何分の一かにすぎないことを思うときそのような自分を、恥ずかしいと思うとともに、何十年もつづけて年賀状をくれる教え子の気持ちを、心からありがたいと思うのである。
「石をもて追はるるごとく」ふるさとを去った石川啄木も、「ふるさとの山はありがたきかな」と詠んでいる。
ありがたいと思える祖国やふるさとを持った人、ありがたいと思う親、兄弟を持った人は、なによりしあわせである。ありがたいと思える友人を持ったならば、それは人生にとって、かけがえのない宝であろう。ありがたいと思える上司、同僚、部下を持ったならば、仕事はまさに生きがいとなろう。
新採用教員研修のとき、私は先生がたに、生徒たちがあとでふり返ってみて、あの先生に教わってほんとうによかった、あの先生はありがたい先生だと、思ってもらえるような教師になってほしいと訴えている。私自身そういうことを言えるような教師でないことはよく知っているが、もし、生徒が、心からありがたいと思える先生にめぐり会えたとしたら、その生徒にとってどれほどしあわせなことであろうか。
教師は専門職であるというが、教育の技術や指導の単なる「専門家」ではなくて、あえて「専門職」といわれるその根底には、「ありがたい先生」ということが、社会の人々の心の中に期待されているのではなかろうか。
ありがたいと思ってもらえるような教師になることは至難であろう。けれども、そういう気持ちで努力することこそたいせつなのである。
昨年度教育広聴会でのある母親の発言であるが、子供が中学に入った年の夏休みに、担任の先生から、米つぶのような細字で、びっしりと書かれたはがきを子供がもらったという。そこには勉強や行動についてのよいところ、努力を要する点など、ことこまかに書いてあったそうである。そして、子供は、はがきがくしゃくしゃになるまでいく度も読みかえしていたという。二学期の授業参観日では、他のクラスは父兄はまばらであったが、そのクラスだけはほとんど全員出席だったという。その担任教師の熱意が皮膚に感じられる思いであった。最後に母親は、子供があの担任の先生を、生がい忘れないであろうと結んだのが、今も印象に残っている。
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