教育福島0031号(1978年(S53)06月)-024page

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教育随想

出会い…そして心のふれ合い

 

安在政隆

 

安在政隆

 

T君、御栄転おめでとう。ふつうぼくらの転任には、"栄転"という言葉は使わない。まして君は山の中の小さな学校に来たのだから。でも、ぼくは栄転と言いたい。なぜなら、君がぼくの所に来て、まず言った言葉。

「先生、ぼくは今度転任して来て、ほんとによかったと思います。喜んでます。」

ぼくは、はじめ君が新卒で赴任してから二年間、遠い所での自炊生活にいや気がさして、今度やっと家から通勤できるようになったことを喜んでいるのかと思った。ところがそうではなかった。

「前の学校の先生がたが悪かったというのじゃありません。だけど、今度の学校では校長先生をはじめ、みんなの先生が、教師というのは、こうでなければならないということを、姿で、実践で、ぼくに教えてくれるんです。すばらしいです。頭が下ります。」

ぼくは君のうれしさ以上に、君の言葉がうれしかった。そして君は一人一人の先生がたのすばらしさを、目を輝かせて話してくれた。ぼくは君の話を聞きながら、君がすばらしい先生たちにめぐり会えたことを心からうれしく思った。

次に君が来たとき、君は言った。

「先生、うちの先生がたは、あんなにいっしょうけんめいなのに、子供たちはなんであんなにバカなんでしょう。六年生のくせに、前の学校の四年生ほどの学力もない…。」

でも、そこでバカだと片づけたらおしまいだ。君が選んでその子供たちを受け持ったのではないし、まして子供たちには先生を選ぶ権利は全く与えられていないのだから、君はめぐり会ったその子供たちのために最善を尽くさなければならないだけなのだ。そして君は若さと誠実さでそれをやり抜くだろう。

ご承知の通り、ぼくは教師としての最後の仕事を自分のふる里で全うしたいと思い、三十年目に村へ帰った。村はいつの間にか町という名に変わり、ぼくがもと勤めていたときの木造校舎は、すばらしい鉄筋校舎に変わっていた。

 

心のふれ合いを深める協力授業

心のふれ合いを深める協力授業

 

そして、ぼくはそこで今の君のようにすばらしい先生たちと出会うことができた。まず驚いたのは全部の先生がたが、全校の子供たちの顔も名前もわかっているということだった。そして全部の先生がたが自分の組、よその組を問わずみな自分たちの子供として目をかけ、心を配っておられることだった。職員室で出る話はいつも子供たちのことだった。全部の先生がたが、全校の子供の学力から性格、家庭の事情までわかっておられた。これでこそほんとうの教育ができるのだと心からうれしく思い、ぼくも負けずにやらなければならないと励まされたことだった。そして二学年合併の協力教授は今も大きな効果をあげている。

ぼくに「"人との出会い"をたいせつにしろ。」と教えられたのは、今はもう退職され、現在社会教育に尽くされているO校長先生だった。仕事にはずいぶんきびしい方だったが、ぼくはその先生から教師とは、教育とは、人間とは何かについてたくさん学んだ。そして今ようやくぼくにも人との出会いの持つ意味がわかってきた。教育とは、人との出会いをたいせつにし、そして心のふれ合いを求めていくことから始まるのだということがわかってきた。三十年間の多くの先生たちとの出会い。子供たちとのめぐり会い。その中でぼくは自分が育てられてきたのだとつくづく思う。

そしてT君。君の若い情熱に満ちた話を聞くことによって、「負うた子に教えられ…。」ということもあるのだということを忘れないでくれたまえ。

(安達町立下川崎小学校教諭)

 

 

 


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