教育福島0031号(1978年(S53)06月)-025page
教育随想
「できない」のではない
谷口節子
S男は今までに社会的環境による生活経験の乏しさから、自信のない消極的な性格を多分に持つように成長してきた。そのうえ、すべての生活の基盤となる指先の巧ち性、運動機能面での敏しょう性、また、不じゅうぶんな会話などの条件によって、ますます日常生活態度には引っ込み思案が強く認められていた。
しかし、はじめて会ったこの子について、私はただばく然とつかんでいただけで、どの面にどの程度の遅れがあるのか、また、どんなにすばらしい芽が内在しているのか、かいもく見当がつかないままに、昨年の四月から養護・訓練をはじめたのである。まず実態をつかむことが先決であることから、なぜこのような遅れがあるのか調査した。そこでこれらの遅滞の原因を除去するために、日常生活を通して、できなくても、時間がかかっても、自分の力でやろうとする意欲を育てることを目標にした。
経験を重ねるうちに、成就への喜びを持つようになり、ときには、「先生Y君は自分でやんねんだ、Y君、はやくやれ。」と、Yに話しかけたり、興味を示すものには意欲が出はじめ、それとともに言葉の数も増え、十二月三日突然に、「先生、自転車乗りすんベ。」と、言うようになったのも一つのよい例である。
そんなS男でも、自分で自転車を出そうとしていたが、なにかおどおどとして、未知の世界への恐怖を感じているようだった。はじめは一つ一つ手を取りながらやらせているうちに、自分で出せるようになり、いつの間にか短時間のうちに乗れるようになってきた。だれよりも恐怖感の強い引っ込みがちなS男にとっては、すばらしい経験であけ、驚くべき進歩である。
こうして自分から意欲を示したものに対しては覚えも早く、もはや校庭ではあきたらなくなり、那須おろしが膚をさすようなある日のこと、
「先生、山さいくべ。」と、今までにみられなかった輝いたひとみと張りのある声で私を誘った。
「うん、いこう」思いがけないS男の誘いに、道路へ自転車を向けると、道路で一度も乗ったことのないS男は、もう山へ行けるものと思い込んでいる。初めはただ固くなって自転車を引いて歩いていたが、いつの間にか一人で乗っていた。
はじめて道路に出たとき
「おっかね、助けてくれ」という叫び声に驚き、S男の方へ目を向けると、既ににこにこした表情で私の後をついてきた。帰ってきた時のS男の額には汗が光り、紅潮したほおには笑みさえ浮かべさも満足そうだった。
ころんで自転車を放り出し、そのまま起こそうとしなかったS男も、自分一人で重い自転車を起こすようになると同時に、人に頼らず自分からやろうとする心が自然に植えつけられたようである。
こうして、興味を示したある一つの事から、意欲が生まれ、ファイトと自信を持つようになったS男は、学級集団の中でもリーダーとなって活躍するようになった。
障害を持つ子供たちも、こうして一つ一つ経験を重ねていくうちに、今までみられなかったすばらしいものを伸ばしてくれるようになってくる。「できないのではない。」ただ伸びようとするチャンスと時間が必要であるだけで、私たち教師はこのアビリティが、いつ、どんな時に顕在化するか、常に細かい観察と指導への配慮を持つことがたいせつである。それがやがて一人で社会に適応できる手がかりとなるので、個々の持っている可能性を最大限に引き出すところに、障害児教育の原点があるのではないのだろうか。
(福島県立西郷養護学校教諭)