教育福島0033号(1978年(S53)08月)-005page

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巻頭言

 

教委三十周年におもう

 

教委三十周年におもう

福島県市町村教育委員会連絡協議会会長 今井清吉

 

今日から七月、思えば上半期は土砂崩れ、干ばつ、地震、風水害と天災が続いて大きな被害が出た。梅雨明けは近いが、日本経済の方は今一つぱっとしないし、円高の行方も気になる。

ところでこの七月十五日は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により地方の実情に即した教育行政を行うため、教育委員会法が公布された日であり、今年は、その二十周年に当たる記念すべき年でもある。しかしこの法律は今はない。

そもそもこの法律の発足については、種々の問題が含まれていた。昭和二十七年に出された福島県教育委員会事務局発行の「地方教育委員会の手引き」にも、(一)窮屈な地方財政の中でこのような制度をつくっても、経費をかけたおかげが果たしてあるのか、財政的にやりきれなくなってしまうのではないか、(二)人事行政の上で全県的視野での人事ができるのか、教員の人事が、もし慎重を欠く判断や単なる好みによって左右されることになるようなことがあれば、この法の発足の趣旨を土台から崩壊させるばかりでなく、教員の身分に不安の念をおこさせ、せっかく芽生えつつある民主教育の新芽を摘んでしまうことになる等の点をあげている。それでも教育委員会制度は、よりよい教育のために必要な制度であるとの見方から、昭和二十二年、都道府県及び五大市に実施されて公選の教育委員が誕生した。その後四年を経て市町村にも教育委員会が設立され、私も二十七年十月五日選挙に当選して白河市教育委員に就任した。

しかしこの法律も三十一年六月に、現在の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」として生まれ変わり、委員も公選から任命制に変わって今日に至っている。そもそも旧法は、米国のスクールボードの大部分にみられるような、学区というような教育のための特別自治体に設けられた執行機関ではなかった。また教育税の徴収権を持つ等の形で、教育のための独自財源が与えられてもいない、通常の自治体の一執行機関として、原則として自治体の一般財源で賄われる教育事務を担当するものであったので、それぞれの首長との間は、財政上の関連で必ずしもスムーズではなかったが、それも新法により逐次好ましい方向になってきていることは喜ばしい。又県教委との関係もすこぶる円滑に相互の信頼度を深めていることは誠に力強く欣快にたえない。

教育は人と人とのふれ合いであり、息の長い仕事である。教育行政は、時には勇断をもって事を処すべきだが、本来ゆうゆうと展開されるべきものであろう。教育委員会制度が設立されてより二十年、今こそ私たちはその原点に帰り、謙虚に過去を反省するとともに、二十一世紀への展望に立ってみずからの研修を深め、よりよき教育福島への道を求めることこそ最大の責務であると考える。

 

 

 


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