教育福島0036号(1978年(S53)11月)-012page
百万円の必要経費が見込まれ両工事を早急に施工する。
本来は、全館休館のうえ施工することが期間的にも経費の面からも得策と考えられるが、保養所の運営面を考慮し休館せずに施工する。
飯坂保養所あづま荘
(二)郡山宿泊所の建築及び開設準備
郡山宿泊所の起工式は、五月二十日現場でとり行われて、直ちに仮設、遺型工事に着手抗打ち(百二十八本)工事も順調に終了した。地下工事も当初心配された湧水もそれほどでなく、また天候にも比較的恵まれてなんら事故もなく進んだ。工事関係については、目下月二回関係業者と連絡会議を開き、いろいろと調整を図りながら万全を期している。現状は地上二階の鉄筋工事と型枠工事もほとんど完了し、コンクリートの打ち込が行われようとしている。ようやく建物の姿が現れたというところでこれからの工事は、いままでより進ちょく度合も早まり、十二月三十日までに躯(く)体工事完了が目標である。
書画購入計画など準備事務も順調に進んでいる。
組合員及びその家族の福祉施設ということから、親しみをもたすことを基本的なものとして各組合員から会館にかざる書画を寄贈していただくことになった。計画の内容は、高校美術工芸部会で油絵十四点、中学校美術部会で油絵と水彩画で十二点、小学校図画工作部会で油絵、水彩画で十二点、高校書道教育研究会で書が六点で合計四十四点について、各研究会にご依頼申し上げたところ、全面的にご協力をいただけることとなった。作品は昭和五十四年四月下旬までとし、五月下旬には会館に搬入する段取りになっており、さぞかしりっぱな作品ができるものと期待している。
「郡山会館」のシンボルマークも決定した。
郡山会館のシンボルマークについて、募集したところ組合員から、二十四通のご応募をいただいた。
このことについては、支部運営審議会にて慎重に検討した結果左のように決定された。
1)入選者
会津女子高等学校教諭 小堀卓
〇佳作
田村高等学校 教諭 野崎俊隆
富岡高等学校 教諭 諸井時男
平第二三学校 教諭 水梨二郎
図3 シンボルマーク
◎全体の形は福島県の地形をデザインした。
◎黒の部分はひらがなの「こ」をデザインした。
◎中の余白はアルファベットの「K」をデザインした。
◎矢印は郡山市の位置を示し、また方向性(集中)の意味をもたせた。
◎余白の部分で広がりと発展の意味をもたせた。
以上のことから「郡山会館」のイメージを表現してみた。
(◎入選者のことばより)
郡山会館のシンボルマークとして永く組合員に親しまれることと思われる。
会議室の名称も名付けられた。郡山会館には、会議室が五つ、控室一つ、レストランが一か所できることになる。これらの名称についてもいろいろ意見があったが、九月十八日建設調査会を開き、じゅうぶん審議され次のように決定した。
洋大会議室二階(定員百八十九人)端雲
洋中会議室二階(定員百五人)鳳凰
洋小会議室三階(定員五十人)真珠
和大会議室二階(定員九十人)高砂、末広
和中会議室三階(定員四十四人)芙蓉、牡丹
控室 四階(定員二十人)孔雀
レストラン一階 レストラン・こおりやま
名称にふさわしいりっぱな室になるのがたのしみである。
建設工事中の郡山会館