教育福島0037号(1978年(S53)12月)-017page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

田植踊などの影響があるかと思われる。しかし、相馬海辺の手踊の特色をよく示している。他部落のはまた同じ曲でも手振りがそれぞれ異っている。全部落の踊を通して見るとき、ここに豊富な近世の小歌による手踊が残されていることになる。

お浜下りの行事とともに、これら奉納舞踊も、文化財としての高い価値を認めることができる。

 

日吉神社のお浜下り(鹿島町)

日吉神社のお浜下り(鹿島町)

 

(史跡)

 

鳥内遺跡

所在地 石川郡石川町大字新屋敷字耕土

所有者 野内定一郎ほか四人

指定地域 字耕土七一番、七二番、七三番-二番、七四番、七五番以上のうち、実測面積一〇〇一・五平方メートル

鳥内遺跡は石川町の西部、阿武隈川とその支流社川の合流点に近い社川西岸の河岸段丘上に位置する。縄文時代後期・晩期のピット(小竪穴)十五個、竪穴住居跡二個、弥生時代中期のピット二十六個が発見されているが、弥生時代のピットには土器を伴ったもの十五個、土器を伴わず単なる土壙(こう)状のもの十一個がある。出土した土器は完形土器だけでも八十個を越え、その多くは壷であるが、若干の甕、鉢を含んでいる。これらの土器にはこの地方でつくられたものが多く、縄文土器から弥生土器に移行してきた当時の土器形態を示しているが、中には愛知県などでつくられたと見られる水神平式もあり、福島県の弥生時代のはじめに東海地方と交渉があったという重要な事実を示すものとして学界の注目をひいた。

これらのピットはいずれも洗骨を埋葬した再葬墓と考えられる。再葬墓は近時東北地方でも各地から発見されるが、本遺跡のように多数発見され、しかも多くの完形土器を出したのははじめてであって、東北地方の弥生文化の古い様相を示した遺跡として重要であり価値が高い。

 

横手古墳群

所在地 相馬郡鹿島町横手

所有者 伏見清ほか

指定地域

A地区 横手字八斗蒔一一六番地の一、一一八番地の一

横手字榎内六三番地の一、七五番地、七九番地、一五九番地の一、一六五番地

横手字堂前九一番地、一〇八番地、一一四番地、 一二五番地、二〇三番地

B地区 横手字原田二八〇番地の一、二八〇番地の二、二八一番地

横手字御所内二〇五番地

横手字神明原乙一番地

横手古墳群は、真野川沖積低地の北縁に分布する古墳群で、A・B二群から構成される。A群は国道六号線の西部水田帯にある十一基、B群は更に西方一キロメートルの社地を中心とする四基で、計十五基からなる。A群一号墳が前方後円墳であるほかは小円墳である。

A群一号墳は墳丘の一部を残すのみであるが、長径約三十一メートル、後円部の径約十九メートル、高さ約二、三メートルの帆立貝式の小前方後円墳で、主体部は石室で、副葬品は古く盗掘されている。

B群一号墳は径が約三十メートル、高さ約三、四メートルで墳上に初発神社がまつられ、一部湛水する周湟(こう)が残存し、封土中から円筒埴輪片が出土する。

その他の十三基の円墳は墳裾(ろく)が削られ、不整形を呈する。

横手古墳群は、小前方後円墳を含む小円墳群で、後期群集墳の特色をよく示し、南方にある真野古墳群とともに、行方(なめかた)地方の古代史を証する重要な遺跡であり、水田中に点在する景観は典型的な古墳群として貴重である。

 

横手古墳(鹿島町)

横手古墳(鹿島町)

 

二、文化財パトロール

 

文化財保護の万全を期するため、昭和四十九年度から民間有識者十六名を文化財保護指導委員に委嘱し、パトロール計画(年二回)に基づいて定期的に文化財の巡視を行っている。

文化財指導委員は、巡視結果を県教育事務所長に報告するとともに、市町村教育委員会の協力のもとに、文化財

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。