教育福島0037号(1978年(S53)12月)-016page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

南会津郡田島町に所在する栗生沢三ッ獅子は、旧六月十一日より十三日までの大山祗(つみ)神社の祭や、旧盆、二百十日の風祭等に、同社の境内で舞われる。火伏せ、厄病除け等と考えられている。また、臨時に、橋梁、建物等の落成祝い、道路の開通祝い、地固め、悪疫流行のときなどに演ぜられることもある。

前庭と後庭とあり、後庭は古老株のものが舞う。いわゆる「幣舞」「雌獅子隠し」「花吸い」等の曲があり、多くの獅子舞歌を伝書によって伝えている。

囃子は、獅子の太鼓のほかに、大太鼓と笛があり、歌い手が歌をうたう。

高野の三匹獅子は、旧三月十八日の馬頭観音の縁日に同境内で、旧七月十七日の立谷沢観世音講に宿の庭先で、二百十日前祭に稲荷神社の境内でそれぞれ舞われる。やはり悪疫を払う舞と言われている。こちらには「雌獅子隠し」の曲がないかわりに「弓くぐり」を伝えている。前者同様、前庭と後庭の二度に分けて舞われる。栗生沢のと同じく多くの獅子舞歌を伝えている。こちらでは、大太鼓は舞のときは用いない。

栗生沢三ッ獅子及び高野の三匹獅子は流派が同じであり、特に、後庭は、両者とも美しいものであり、会津地方の一つの代表的な獅子舞といえる。

 

川内の獅子舞

所在地 双葉郡川内村大字上川内字早渡十二−二十五 川内教育委員会内

保護団体 川内村三匹獅子舞保存会連合会

代表者 菅波勇太郎

双葉郡川内村には、字坂シ内、水上、中島、前谷地に、一人立(ひとりだち)三頭の風流獅子舞が伝えられている。これらは延宝(一六七三〜八一年)のころ、西山の百野に来たり住んだ吉田久次が伝授したものによるという。

坂シ内は、村の中心の一つにあって町とも呼ばれ、その獅子も「町獅子」といい、毎年五月五日と九月七日の下川内鎮座諏訪神社の春秋の例祭に、境内で舞われる。舞子代替りのときは、例祭の翌日、八幡神社でも舞い、また、新嘗(なめ)祭にも、諏訪神社で演ぜられる。

獅子は七、八歳から十五歳位までの少年が主として舞う。(一組三人そろっておれば、二十一歳位までつとめることがある)手に桴(ばち)を持たず、腰太鼓は手で打つ。囃子は太鼓、笛のほか、歌い手により歌がうたわれる。ここの舞は「山がかり」と総称されている。ここには、元禄三年坂シ内の若松権八以下に町獅子を伝承したという百野、吉田久次からの免許状が保存されている。

水上は、西山ともよばれているので、その獅子は「西山獅子」という。前記諏訪神社の春秋の祭に、町獅子と前後して舞われる。舞は「庭がかり」、「山がかり」の双方を伝えている。

中島は、西郷とも言い、獅子は「西郷獅子」とよばれる。同じく五月五日と九月七日の上川内鎮座の諏訪神社の春秋の祭に、巫女舞や神楽に続いて境内で舞われる。昔は大人が舞ったようであるが、今は少年が舞う。伝承は前二者とも同様で、舞は「山がかり」である。なお、次郎獅子の右耳わきに「延宝三歳卯八月求之」の朱書がある。

前谷地は、高田島の中心にあり、獅子も「高田島獅子」と呼ばれる。前谷地諏訪神社の、前者とも同日の春秋の祭に、境内で奉納される。同じく少年が舞う。舞は「案山子がかり」である。

以上四組の獅子舞は、同じ川内村内にあり、伝承も同じ源に出て、舞も比較的ととのっていて双葉地方の代表的なものである。

 

川内の獅子舞(川内村)

川内の獅子舞(川内村)

 

日吉神社のお浜下りと手踊

所在地 相馬郡鹿島町江垂字中館九四番地

保護団体 日吉神社のお浜下り特別祭典執行委員会

代表者 竹田忠夫

相馬郡鹿島町日吉神社のお浜下りは、十二年に一度、申年四月に行なわれる。このお浜下りで珍しいのは、神輿(みこし)の行列に、宝財踊、手踊、神楽等の組々が供奉し、要所要所でこれらの踊を奉納し、この奉納が済まなければ、行列は先に進むことができないという定めのあることである。

お浜下りは神社の神輿を烏崎の浜に移して潮水を神輿に献納する儀式を行う祭礼行事である。その年には神社の屋根替え工事にともなう下遷宮、上遷宮を終え、浜下りの祭礼を待つ。四月の祭礼日には氏子が威儀を正して列帳にきめられた役により行列に加わり、子供から老人まで数百人がお供して五キロほど離れた烏浜まで神輿を中心に下がる。各種の芸能が江垂の日吉神社を中心とした、江垂、塩崎、川子、大内、小島田、烏崎、寺内等の各部落より出る。宝財踊、万作踊、おつづら馬、神楽、日置流弓芸、流れ山、カンチョロリン等数多くの子供手踊、獅子舞、若殿様と大名行列、山車等が奉納される。浜に至るまで、道中十三か所のたて場の前で各芸能が披露され、また大内と烏崎の境にはいわゆる関所を設け、ここで行列の受け取り渡しの儀式が行われる。これより儀式は浜格により進められる。

海岸に下った神輿は、矢来竹で囲んだ砂浜の祭場地に安置され、潮垢離(ごり)の儀式ののち、各芸能の奉納があり、夜半に至って還幸となる。翌日は社前で再び芸能の奉納がある。当地方に手踊などの芸能が数多く残っているのは、このお浜下りによるところが大きいと思われる。

手踊の振りは、例えば烏崎部落のは近隣市町村のものと大異がある。概して素朴であり、こごむ振りが多いのは、

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。